7.ブログ

 日々の生活に密着した私見をエッセイ風に綴っていきます。月に一度はブログを更新していきますので、お時間があれば、ぜひご覧になってください。

  1. アライってなんだ?(2024年05月26日)
  2. 留学生がよく間違える日本語(2024年04月18日)
  3. 平安時代、それは日本文化のあけぼの(2024年3月21日)
  4. レイシャル・プロファイリング(2024年02月26日)
  5. 日本語教員試験(国家試験)が始まる(2024年01月28日)
  6. 大谷選手の記者会見(2023年12月20日)
  7. 新しい文法テキストを出版しました(2023年11月18日)
  8. 阪神タイガースの「あれ」(2023年10月20日)
  9. バスケ48年ぶりの快挙(2023年09月08日)
  10. 同期会(2023年08月14日)
  11. スズメバチ(2023年07月31日)
  12. 人生万事塞翁が馬(2023年06月10日)
  13. 「伝える」と「伝わる」(2023年05月03日)
  14. 祝WBC優勝と認知言語学(2023年04月06日)
  15. WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)(2023年03月13日)
  16. 大学教員の春休み(2023年2月18日)
  17. 非言語メッセージの重要性(2023年1月29日)
  18. 教育はサービス業?(2022年12月31日)
  19. ジョハリの窓(2022年11月24日)
  20. Vision & Work(2022年10月30日)
  21. 変な英語(2022年9月27日)
  22. 長男の結婚式(2022年8月22日)
  23. 安倍晋三元首相銃撃事件(2022年7月26日)
  24. 「飲み水ではありません」と “Don’t Drink”(2022年6月5日)
  25. 私たちの言語感覚(2022年5月2日)
  26. 人生で一番幸せな時間(2022年4月21日)
  27. 加害者としての戦争を忘れた日本(2022年3月24日)
  28. やさしい日本語(2022年2月13日)
  29. 「ざんまい先生」の思い出(2022年1月11日)
  30. 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)(2021年12月26日)
  31. 気に入っているのに売れない本(2021年11月3日)
  32. 本を出版するには(その5)(2021年9月20日)
  33. 本を出版するには(その4)(2021年9月01日)
  34. 本を出版するには(その3)(2021年8月1日)
  35. 本を出版するには(その2)(2021年7月13日)
  36. コロナワクチンの接種を完了しました(2021年6月16日)
  37. 本を出版するには(2021年6月1日)
  38. ホームページを作ってわかったこと(2021年5月1日)
  39. 定年退職しました!(2021年4月1日)

アライってなんだ?(2024年05月26日)

 先月東京レインボウプライド2024の様子がテレビで放映されていました。代々木公園で開かれたイベントには27万人が来場し、パレードにも1万5000もの人が参加したそうです。レインボウーカラーで埋められたパレードの様子はとても華やかで、ここ数年で社会的認知度が上がっていることを感じ取ることができました。

 東京レインボウプライドとは、LGBTQ+の当事者やその支援者たちが「“性”と“生”の多様性」を祝福するイベントだそうです。誰もが自分らしく生きていくことができる社会の実現を目指し、イベントの開催を通して、性的マイノリティの人々を応援するというものです。

 LGBTQ+はレズビアン(Lesbian-女性の同性愛者)、ゲイ(Gay-男性の同性愛者)、バイセクシャル(Bisexual-両性愛者)、トランスジェンダー(Transgender-性別越境者)、Questioning(クエスチョニングー自分の性自認が不明な人)、+(plus-これらの範疇に入らない性的マイノリティ)の略です。

 2015年に国連総会で採択されたSDGs(持続可能な多様性と包摂性のある社会の実現にむけての取り組み‐Sustainable Development Goals)において、あらゆる人々が活躍する社会を優先課題の1つに挙げていることから、日本でも外国人住民に限らず、マイノリティとされる人々を含む多様性を受け入れる社会の構築が進んでいます。

 最初に紹介した東京レインボウプライドのニュースの中でインタビューされた男性が「自分はアライです。」と答えたのが気になりました。あらい?、新井さんか?、何だアライって。急いでネットで調べると、すぐに出てきました。アライ、英語で「同盟、支援」を意味する「ally」が語源で、当事者ではないが性的マイノリティを理解し応援する人々のことを指す言葉だそうです。ああ、確かに連合軍は「allied force(アライド フォース)」って言うし、同盟は「alliance(アライアンス)」って言うなと思いました。

 そうか、性的マイノリティを応援する人をアライと呼ぶんだと納得しました。そうすると、LGBTQ+を理解する私もアライってことになるんでしょうかね。ただ、積極的に応援、支援をしているというわけではないんですが。

 私の大学の同僚だった人にゲイがいます。私は彼からそのことを告白され、少し驚きましたが、他の友達と同様のつき合いをしてきました。彼とは非常に仲がよく、彼のパートナーを我が家のバーベキュー・パーティに呼んだこともあります。彼は私以外には公言していなかったので、私は他の人にそのことを言うことはありませんでした。現在は大学も異なり、年賀状のやり取りぐらいの付き合いですが、私の身近な友人としては初めての性的マイノリティの人でした。しかし、私にとって彼がゲイであろうとなかろうと、一人の人間としてしか見ていません。今後も一人のアライとして、彼のような多様な人間性を尊重していきたいと思っています。

留学生がよく間違える日本語(2024年04月18日)

 以下の英文は私たち日本人がよく間違える誤文ですが、皆さんはどこが間違っているか、おわかりになるでしょうか。

1)家にサイフを忘れた。 → I forgot my wallet at home. 

2)A:初めまして → Nice to meet you.  B:こちらこそ → Me too.

3)うそでしょ!    → You are lying.

4)トム・クルーズを知ってます。 → I know Tom Cruise.

 正しくは以下の通りです。

1)I left my wallet at home. → ”forget” は出来事などを思い出せないという意味です。

2)ANice to meet you.  BYou too. → (Nice to meetyou too. の略だから。

3)No kidding. → 「嘘を言っている」ではなく、「冗談でしょ」の意味なので。

4)I know of Tom Cruise. “of” を付けないと、直接知っているという意味になるから。

 いかがでしたか。私たちが間違った英語を使うように、留学生もまた日本語の表現をよく間違えます。その一部を紹介しますね。

1)トムさんはイギリスで留学しました。

2)外はとても冷たいです。

3)友達が毎日私に日本語を教えました。

4)試験に受かって、とてもうれしいと思います。

 日本語のネイティブスピーカーであれば、どこがおかしいかすぐにわかるでしょう。正しく直すと以下のようになります。

1)トムさんはイギリスで(→イギリスに)留学しました。

2)外はとても冷たいです(→寒いです)。

3)友達が毎日私に日本語を教えました(→教えてくれました)。

4)試験に受かって、うれしいと思います(→うれしいです)。

1)は本当に留学生がよく口にする間違いです。「留学する」は「~に/へ留学する」という表現でなければなりません。「イギリス」は場所なので「~で」を使う学習者が本当に多くいますが、助詞と動詞の組み合わせ(文型)で覚える必要があります。2)は語彙の間違いで、「冷たい」は体の一部で感じる表現で、「空気が冷たい/水が冷たい」などと使い、体全体で感じる冷たさは「寒い」を使わなければなりません。3)も初中級学習者によく見られる不自然な表現です。相手への感謝の気持ちの入った「教えてくれました」のほうがより自然な言い方になります。最後の4)もよく聞く間違いで、「うれしい」は一人称の感情を表す表現なので、さらに「思います」を付ける必要はないということになります。

 このようなちょっとした間違いの多くは学習者の母語が影響していると言われます。第二言語習得論では、「母語の干渉」と呼んでいます。私たちの言葉には共通する部分が多くありますが、母語と外国語では異なるルールや視点もあるために不自然な表現になってしまうんですね。外国語を学ぶときはその言語に根ざした考え方や捉え方も一緒に身につける必要があるというわけです。

 

平安時代、それは日本文化のあけぼの(2024年3月21日)

 NHK大河ドラマ「光る君へ」が始まって3カ月が経ちました。『源氏物語』を書いた紫式部が主人公ということで、巷では平安時代のブームになっているようです。私の専門は日本語教育(文法・言語学・異文化理解)ですが、私の専門にとっても、平安時代はエポックメイキングな時代と言えます。現在の日本語の書き方である漢字と平仮名と片仮名を使った「漢字仮名交じり文」が成立したのが平安時代だったからです。

 文字がなかった日本に漢字が導入されたのは飛鳥時代です。当初は中国の進んだ文化をそのまま受け入れることが目的でした。日本最古の書物『古事記』や歴史書『日本書紀』、漢詩集『懐風藻』などはすべて漢字で書かれました。奈良/平安時代の首都「平城京/平安京」は中国の長安のコピーでした。飛鳥時代の政治改革である「大化の改新」も日本初の本格的な法律「大宝律令」も中国文化の大きな影響のもとになされたものです。このように、中国の制度をまねることで古代の日本文化は整えられていきました。

 しかし、平安時代中期になると、それまでの中国文化の模倣から、日本独自の文化(国風文化)が生まれました。その大きなきっかけとなったのが平仮名と片仮名の発明です。「漢字仮名交じり文」によって日本語で自分たちの文化を表す手段を初めて手にすることができたからです。その代表例が、『源氏物語』(紫式部)、『枕草子』(清少納言)、『古今和歌集』、『土佐日記』(紀貫之)などです。これらの作品が生まれた背景には日本語の文字制度の成立があったわけです。

 では、ここで質問です。なぜ日本人は平仮名と片仮名を発明したのでしょうか。奈良時代に書かれた作品のように、漢字だけではだめだったのでしょうか。そうなんです、それはだめだったんですね。奈良時代の作品は漢字で書かれましたが、言い換えると、それは中国語で書かれたものなんですね。もっと簡単に言うと外国語で書かれた作品と言えるのです。

 平仮名と片仮名が生まれた理由は、漢字(中国語)だけでは日本語を表すことができなかったからです。これはどういうことかというと、中国語には助詞や助動詞といった日本語の文法機能を表す言葉(機能語)が存在しません。わかりやすく説明すると、中国語の「我(ヲー)愛(アイ)他(ター)」は「私する」と訳されますが、日本語の「~は」「~を」「~する」は中国語にはありません。中国語では、「我(私)、愛、他(彼)」と漢字を並べるだけで文が成立するからです。

 そのため、奈良時代になると日本語を表す工夫が生まれました。それが、万葉仮名です。日本語の機能語を表すために、助詞や助動詞の発音に近い漢字があてがわれたのです。ただし、万葉仮名と言っても漢字なので読みづらいという欠点がありました。この万葉仮名を崩してできたのが平仮名、一部を取ってできたのが片仮名でした。こうして、平安時代中期になると漢字仮名交じり文が成立し、その後の国文学の発展に大きく寄与したのです。日本独自の文化の始まり、それは平安時代だったのです。                   (放送大学静岡学習センター機関誌「ともしび」第124号の寄稿文より掲載しました。)

レイシャル・プロファイリング(2024年02月26日)

 先日私の関係する日本語学校で日本語弁論大会があり、審査員の一人として出席しました。クラスを代表する留学生14名が次々とスピーチをしました。タイトルは「私のあこがれの人」や「失敗から学んだこと」、「人生で大切なこと」など様々で、一生懸命に生きる彼ら、彼女らの気持ちが伝わってきました。会場はこの日本語学校で学ぶ留学生でいっぱいでした。友達から紹介された発表者はクラスの応援を受けながら、緊張した面持ちで自分の意見を主張していきます。そのような中で一番会場が盛り上がったスピーチがありました。それは、ネパールから来た留学生の訴えでした。

 アルバイト先で「これやれ!」「こっちに来い!」などと命令されるが、日本人のバイト生には「これ、やってください」「こっちに来てくれませんか」などと丁寧な言葉遣いになる。自分たちが挨拶しても、挨拶を返さない。自分たち外国人を下に見ている。電車で座席に座ると、隣の空いている席に誰も座ろうとしない。また、日本人の隣に座ると、黙って席を離れる。警察からは職務質問を何度も受ける。私たちは人間ではないのですか。体の中に日本人と同じ血が流れていないのでしょうか。

 こう訴える発表者に会場の留学生からは割れんばかりの拍手と声援が飛びました。このスピーチを聞いていた私たち審査委員は複雑な気持ちになりました。確かにそれは事実であるからです。

 私は同種の不満を大学で教える留学生からも何度も聞いています。夜歩いていたら警察から職務質問をされ、住んでいる寮にまで付いてこられた、電車やバスで自分が座っている隣に誰も座ろうとしない、自分が外国人だとわかると突然態度が変わる、など、差別と感じる留学生は少なくありません。

 今年の1月29日、3人の在日外国人が日本国と東京都、愛知県を相手取り、民族差別による頻繁な職務質問を理由とする訴訟を東京地方裁判所に起こしました。皆さんの中にも覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。報道によると、原告の一人のマシューさんは2002年に来日して以来、警察に少なくても70回は尋問されたと述べています。

 警察などの捜査機関が、人種や肌の色、国籍、民族的な出身をもとに職務質問や取り調べの対象者を選ぶことを「レイシャル・プロファイリング」と呼びます。日本だけでなく、世界中で問題となっています。アメリカで黒人が警察官によって殺される事件が続きましたが、これなども「レイシャル・プロファイリング」に基づく事件ではないでしょうか。

 職務質問をきっかけに検挙につながった件数は昨年1年間で22076件に上るそうです。警視庁は「職務質問は凶悪事件等の未然防止及び検挙に資する手段となるものであり、治安維持に有効な活動である」としています。だからと言って、見た目の違いだけから職務質問をするというやり方は人権を無視していると言わざるをえません。職務質問が必要であるという状況においては、差別的な応対、言動がないように公権力を行使する警察官には高い人権意識をもってほしいと思います。

 冒頭のスリランカからの留学生のスピーチに戻りますが、この留学生は残念ながら入賞することはできませんでした。スピーチコンテストの総評で、私は、「留学生の気持ちはよくわかります。でも、文句だけに終わらず、どうしたらいいのか、建設的な意見が欲しかったです。もしそれがあれば、あなたのスピーチは一番だったでしょう。」と話しました。理不尽なことはどこにでも存在します。でもそれをどのようにポジティブに克服していくかは、私たち自身にあると私は思います。

日本語教員試験(国家試験)が始まる(2024年01月28日)

 私の専門である日本語教育の世界において、大きな変化が起きようとしています。令和6年度から日本語教員になるための国家試験(以下、日本語教員試験)が始まるからです。

 これまでも日本語教師になるための試験は、日本語教育能力検定試験(以下、検定試験)として長い間実施されてきました。しかし、民間の団体が実施する試験であるため、資格としての価値はそれほど高いものではありませんでした。日本語教師になるためには、これまでに3つの方法がありました。第一に大学で日本語教育を主専攻または副専攻して卒業すること、第二に検定試験に合格すること、第三に民間の日本語教師養成機関で420時間の講義を受け修了すること、です。これらのいずれかに該当すれば、日本語教師として働くことが可能でした。

 しかし、上に書いたように日本語教師になるための資格はあいまいで、統一的な資格はありませんでした。それによって、日本語教師の待遇も総じて低いままの状態が続いていました。日本に居住する外国人や日本語を勉強する留学生の増加に伴い日本語教育の重要性が高まり、国として法令などを整備し、明確な基準で日本語教員を養成し、質の高い教育を提供することになったわけです。日本語教師になるための試験を国家試験に統一し、日本語教員になるためには必ず合格しなければならない資格としたわけです。これにより、日本語教員の待遇向上も期待されます。

 今回の国家試験の実施に伴い、日本語教育機関や教員養成機関も国から認定されることになり、教育機関の質の向上も期待されています。ニュースやネットなどであまり話題になっていませんが、私自身は日本語教師養成機関の認定に関心があります。日本語教育のブームに乗って、これまでは教育重視よりも利益重視の養成機関があり、講師の資質に欠けるような人が教えている現実があったからです。今後は、養成機関の講師は日本語教育に関する修士以上の学位をもつ人、または日本語教育を専攻した学士で日本語教員の資格をもつ人でなければならなくなり、厳格に規定されることになります。つまり、日本語教育を大学で専門的に学んだ人でなければ講師になれないということです。

 これにより、検定試験に合格しただけの資格で教えている講師は排除されます。多くの民間の日本語教師養成機関で講師採用の見直しが進むことが予想されます。これらの変化を見越してか、現在オンラインでの講座を中心とする養成機関が増えています。オンラインであれば、数名の資格のある講師による動画を配信するだけで、多くの講師を採用する必要がありません。ただ、国の考えでは、対面に相当する効果を有すると認められることを条件としていることから、果たして現状のオンライン講座がこのまま新しい養成講座においても正当な講義として認められるかどうかは不明です。

 私は今回の国(文化庁)による改変にとても期待しています。利益中心の団体は淘汰され、教育中心の良心的な日本語教師養成機関が残り、日本語教育全体の底上げが図られると思うからです。そして、国が日本語教員の質を担保することで、公の機関における日本語教師の採用枠が増え、日本語教員の地位の向上にもつながることが期待されます。これを機に、多くの有能な人材が日本語教育の世界に流入することを期待しています。

大谷選手の記者会見(2023年12月20日)

 大谷翔平選手がドジャーズと契約しました。総額で7億ドル(約1022億円)という途方もない金額です。12月15日にドジャー・スタジアムでマーク・ウォルターオーナーやアンドリュー・フリードマン編成部長らとともに入団記者会見を行いました。ドジャーブルーのユニフォームに袖を通した大谷選手の顔には新天地でワールドシリーズ制覇に向けてチャレンジする高揚感があふれていました。きっと数年のうちにワールドシリーズで活躍する姿を私たちファンに見せてくれるに違いありません。

 今回の記者会見で私が注目したのは、司会者から指名された日本人記者の非言語動作です。アメリカ国内外から集まった記者は300名を超え、司会者から質問権を勝ち取るのは容易なことではありません。約35分の会見中に司会者から指名を受けた記者は14人、そのうち4人が日本人でした。大谷選手が日本人であるため、司会者も日本から集まった記者にも質問するチャンスを与えたと推測できますが、それでも多くの日本人記者の中から選ばれるのは至難の業です。選ばれた日本人記者は幸運だったのでしょうか。いいえ、私はそうは思いません。

 質問できた記者は選ばれるべくして選ばれたのです。決して運がよかったわけではありません。では、どうして司会者から質問の指名権を勝ち取ることができたのでしょうか。その決め手になったのが、非言語動作です。日本人メディアとして最初に指名されたTBSの石井大裕アナウンサーは、「誰よりもしっかり指先まで手を上げ、司会者の目をじっと見つめていた」と日本の情報番組で発言していました。そして、「大谷愛が誰よりも強かった。自分の目力(めじから)で勝ち取った」と補足していました。

 つまり、司会者に対して、強い非言語メッセージを送っていたと考えることができるのです。非言語メッセージの重要性については2023年1月29日のブログで書いていますが、私たちが思っている以上に、非常に重要なコミュニケーションツールであるのです。ブログでもこの非言語メッセージの重要性を理解すれば、普段の生活に実践的に活用できると書きました。今回の大谷選手の記者会見で質問をすることができた石井アナウンサーはそのことに無意識に気がついていたのにちがいありません。

 私たちのコミュニケーションは非言語動作なしでは成立しません。バードウィステルが言っているように、コミュニケーションの実に65%は非言語動作によるものです。しかし、その重要性に気が付いている人はほとんどいません。私たちが発する非言語メッセージを使いこなせるようになることが、人生において成功につながると言っても過言ではありません。このブログを読んでいる皆さんもぜひ自分の発する非言語メッセージを意識して行動してみてください。きっとこれまでとは違ったコミュニケーションの効果が期待されると思いますよ。

新しい文法テキストを出版しました(2023年11月18日)

 10月16日に最新の著作『日本語教師を目指す人のための スモールステップで学ぶ 文法』の出版が発表されました。11月から販売が開始されています。今回の著作は私にとってかなりの難産の末の作品となりました。出版社の担当者から企画の相談を受けてから足掛け3年かけての出版となったからです。

 2021年の2月に企画の相談があり、その後、章のひな型を決め、原稿作成に入ったのが4月でした。2022年の1月に原稿が出来上がり、その後出版社とのやり取りが1年ほど続きました。2023年2月に最終原稿を渡し、初校が出たのが2023年6月、その後、校正作業が続き、晴れて今回の出版となったわけです。

 これまでの私の著作は何年も授業の中で使用しながら推敲を重ねてきていたたため、出版社との調整もほとんどなく、直ぐに初校が出ました。しかし、今回のテキストは企画の依頼を受け、実践なしで原稿を作成したため、不備な点が多々ありました。それが、出版社との原稿修正のやり取りに1年もかかった理由です。

 また、初学者のために、見開き2ページで完結するという構成にしたのも大変でした。左ページに文法解説、右ページに文法解説の要約と練習問題を入れるというのは、これまでにあまりなかった方式です。途中で2ページに収めるのが難しい文法項目があり、挫折しかけましたが、見開き2ページというこだわりは最後まで貫き通しました。

 今回の執筆にあたり、過去の検定試験の問題を分析しました。2002年から2020年までの検定試験の試験Ⅰの文法問題をすべて取り出し、項目別に整理してみました。すると、驚くような事実を発見したのです。文法で一番出題されている項目はなんと、文法の基礎の基礎である品詞分類(22%)でした。経験的にはなんとなく品詞の問題がよく出ていると感じてはいましたが、まさか一番多いとは思ってもみませんでした。次に多かったのが複文(18%)と日本語の基本構造(格助詞、文型、主題、とりたて助詞)(14%)の項目でした。これらの合計で全体の54%に達します。

 意外と少なかったのが自動詞と他動詞の項目でたったの2%でした。さらに、重要な文法項目であるテンス(5%)、モダリティ(6%)、アスペクト(7%)、ヴォイス(8%)もそれほど多くはありませんでした。これらの項目に含まれない分野としては、談話や縮約形、肯否、敬語があり、これらの合計で11%になります。

 この新しいテキストでは検定試験に出る文法項目をすべて扱っています。したがって、文法の試験対策としてはこの本を一冊しっかりやっていただければ試験に合格するだけの知識を得ることができると確信しています。

 3月3日(日)に出版社の主催で無料セミナーを実施します。このテキストの詳しい特徴や使い方、教え方などを、このセミナーで説明する予定です。セミナーの詳細は出版社(スリーエーネットワーク)からもうすぐ広報されますので、興味のある方はぜひご参加ください。私のホームページでもお知らせするつもりです。

阪神タイガースの「あれ」(2023年10月20日)

 阪神タイガースが18年ぶりに「あれ」を勝ち取りました。阪神の「あれ」といえば、大方の人は「リーグ優勝」のことだとすぐにわかるでしょう。これまでも何度も優勝しそうな年がありましたが、その度に優勝を逃したため、いつの間にか「優勝」という言葉が禁句のようになってしまったんですね。ちなみに、岡田監督がオリックスの監督をしていた時に「あれ」という言葉を使い始めたそうです。

 阪神が優勝してからは、日本シリーズの優勝のことを何というか、岡田監督はいい言葉があったら教えてくださいとファンに呼びかけました。ファンの間では、「これ」がいい、「それ」がいい、などとあれこれ盛り上がっていますが、いまだに決め手になるような言葉は見つかってないようです。

 ここからは、日本語教育の専門家としてお話しさせていただきます。「あれ」は指示代名詞や「こそあど」などと呼ばれ、ある物事を指し示すときに使われる表現です。種類としては、コ系列(「これ、こちら、この、ここ、こっち、こう」など)、ソ系列(「それ、そちら、その、そこ、そっち、そう」など)、ア系列(「あれ、あちら、あの、あそこ、あっち、ああ」など)、ド系列(「どれ、どちら、どの、どこ、どっち、どう」など)があります。

 これらの指示の仕方には2種類あって、「現場指示」と「文脈指示」があります。「現場指示」とは自分の見えるところにある具体物を指示するときに使い、自分の近くにあれば「こ」、相手の近くにあれば「そ」、二人から離れたところにあれば「あ」を、使います。たとえば、「れはなあに?」と聞けば、聞かれた人は「れは・・・だよ」と答えます。「じゃあ、れは?」と言ったら、二人から離れたものを指していることになります。

 文脈指示では、目の前にはない事柄を指します。その場合、自分と関わりの深いものは「こ」、客観的な事柄は「そ」、相手も自分も知っている共有の情報は「あ」で指し示します。たとえば、飲酒が大好きであれば「病気になってもれだけは止められない(大好きな「飲酒」を指す)」、客観的な指示であれば、「山形に行って、こで一泊した(前の文にある「山形」を指す)」、共有する情報であれば、夫婦の会話で「おい、れを持ってきてくれ(二人が知っているもの)」などと言えるでしょう。

 ここまで来ればもう皆さんもお分かりですよね。阪神の「あれ」は文脈指示の「あれ」で、言っている自分と聞いている相手が共有する情報、つまり、「リーグ優勝」を意味していたことになります。このように、話し手も聞き手も知っている情報は「あれ」で代用できるのです。そうすると、「日本シリーズ優勝」はなんと表現したらいいのでしょうか。「これ」は自分だけの強い思いれの表現ですし、「それ」は客観的な指示表現ですし、当事者とファンが共有する言葉としてはいずれも不適切だからです。

 私であれば、「あっち」を推薦します。ア系列なので「あれ」と同様に皆が共有する情報を指すことができます。「アレを勝ち取ったので、今度はアッチ」というのはいかがでしょうか。阪神タイガースの選手には、「あれ」の次は「あっち」に向かって頑張ってほしいです。(その後、「あれのあれ」という言い方が使われるようになり、阪神が日本一になりました。おめでとうございます!)

バスケ48年ぶりの快挙(2023年09月08日)

 最近のスポーツで盛り上がった出来事といえば、バスケットボールの世界選手権でしょう。ラグビーワールドカップで日本が初めてベスト8に進出した4年前を彷彿させるような盛り上がりを見せました。一次予選で敗退したものの、格上のフィンランドには逆転勝ちし、大いに興奮しました。その後、順位決定戦では、ベネズエラ、カーボベルデに連勝し、アジア最上位になり、見事に48年ぶりのオリンピック出場権を獲得したのです。

 これまでほとんどバスケットボールを見てこなかった私もテレビ中継に釘付けになりました。多くの選手が日替わりで活躍する中で、安定した力を発揮していたのが、アメリカから帰化したジョシュ・ホーキンソン選手です。ホーキンソン選手はワシントン州立大学卒業後、NBAでのプレーを希望するものの、ドラフトで指名されず、失意の中で日本でのプレーを選択しました。言葉も分からない、友達も誰もいない、そんな異国に飛び込みましたが、すぐにホームシックになり、早く帰りたいと考えたそうです。それを変えたのが父親の「もっと外へ出て冒険をしろ」という言葉でした。「よし、飛び込んでやろう、すべてを受け入れよう」という気持ちになり、すべてが吹っ切れたと言います。その後、信州ブレイブウォリアーズに移籍したホーキンソン選手は積極的に日本文化に溶け込み、日本語を猛勉強し、日本への帰化を果たしました。その結果、ワールドカップの日本代表選手に選ばれ、今回の大活躍となりました。

 ワールドカップの直前インタビューでは、NBAに選ばれなくても、ワールドカップに出られれば、NBA選手と戦える、別の方法で自分がいかに良い選手になったかを世界に示すことができると語っていました。今大会の終了後、米メディアがバスケW杯グローバルレーティングを発表、なんとホーキンソン選手はトップ6に選ばれたのです。しかも、トップ5の選手はすべて現役NBAプレーヤーです。米メディアも「アジアでそのキャリアを築き、アンタッチャブルな存在になりつつある」と絶賛の声を寄せていました。NBAのトッププレーヤーと肩を並べる働きをしたホーキンソン選手に大きな拍手を送りたいと思います。

 ホーキンソン選手は日本語が上手なのですが、私は職業柄、ホーキンソン選手のインタビューでのある表現がとても気になりました。象徴的だったのが、ワールドカップが終わった翌日の会見で「今回のワールドカップはとても楽しかったと思います。」と答えていたものです。このブログを読んでいる方ならお分かりのように、「楽しかった」という感情形容詞には「思います」を付ける必要がありません。母語話者なら、「今回のワールドカップはとても楽しかったです。」と言うでしょう。ホーキンソン選手のインタビューでは、付けなくていい「思います」をかなり使っていました。

 この「感情形容詞+思います」は、日本語学習者によくある間違いの1つです。感情形容詞とは自分の気持ちを表す形容詞で、「うれしい」「苦しい」「眠い」「かゆい」「憎い」「なつかしい」などで、その表現自体で自分の気持ちを表すので、それに「~と思います」という気持ちの表現を加えると、二重になるため、不自然になるわけです。

 ちょっと茶々を入れてしまいましたが、ホーキンソン選手のパリオリンピックでのさらなる活躍をとても楽しみにしています。

同期会(2023年08月14日)

 還暦を過ぎてから、同窓会に参加することが多くなりました。仕事が現役の時は子どもが小さかったり、仕事も忙しかったりして、同窓会に出ようという気になりませんでしたが、年を取り、時間や金銭の余裕ができてくると、昔の時代が懐かしく感じられるようになります。

 私が今回参加したのは同窓会というより、大学時代のクラブ活動の同期会です。大学時代はマジックサークルに所属し、勉強そっちのけでマジックの練習にいそしんでいました。大学1年から4年間一緒だった同期の男友達5人と2年に1回、家族そろっての同期会を続けています。

 家族そろっての同期会が始まったのは、オーストラリア留学から帰ってきて私が結婚してからです。6人の中で最後に結婚したのが私でした。32歳の時です。ですので、皆私が結婚するのを待っていたということになります。ところが、最初の同期会が開かれたとき、私の妻が病床に伏していて、私は参加できませんでした。その2年後は私の妻が亡くなったばかりであり、参加を見合わせました。私が参加したのはその2年後の第3回目からで、長男を連れて、那須高原で皆と再会したのを覚えています。

 その後、私が再婚してからは妻と子ども3人と一緒に参加するようになり、他の仲間の家族とともににぎやかな同期会となりました。このころはどの家族にも小さな子供がいたため、子どもが喜ぶような場所が選ばれていました。千葉県のマザー牧場、富士サファリパーク、初島リゾートアイランド、つま恋リゾートなど、家族そろってワイワイと楽しんだものです。最近は子どもも成人して、参加しなくなり、夫婦だけの参加となっています。

 今回の同期会は、コロナの影響でしばらく開催できずにいて、5年ぶりの再会でした。山形県の最上川のライン下りから始まり、秋田県の男鹿半島を巡りました。秋田と言えば、同期会の開かれる1週間前に大雨の水害があり、市内が水浸しになったので心配しましたが、私たちが回ったところはそのような被害はなく、安心しました。今回の旅行の幹事はS夫妻で秋田に住んでいます。S夫妻の自宅の庭でバーベキューをしながら見た本荘川から打ちあがる花火は忘れられない思い出となりました。

 私が一番感銘を受けたのは、ホテルの近くで行われた男鹿温泉交流会館での迫力のある「なまはげ太鼓」の演奏でした。会場から突然現れたなまはげの衣装を着た男が3人ステージに上がるなり、太鼓をガンガンたたき始めます。さほど広くない会館内は太鼓の音で揺れんばかりでした。その中の1人が高校生だと聞いて、さらにびっくり。演奏終了後に出口で挨拶していたので聞いてみると、8年間太鼓をたたいているとのこと。ということは、小学校の高学年から打っているということなんですね。すごいねえ。秋田の伝統芸能に触れることができて、本当にハッピーでした。若い人が伝統を受け継いでいるの見て、本当にうれしかったです。

 自分へのお土産は、小さいなまはげの人形で、ダイニングの横のお土産を置くケース棚の中に飾りました。「悪い子はいねが〜」「泣く子はいねが〜」と子どもたちに迫る様子は私の住んでいる地域では見られませんが、私の子どもが小さかったときに「なまはげ」に来てほしかったなあと思うのは私だけでしょうか。

スズメバチ(2023年07月31日)

 スズメバチに刺されました。私の家の隣は小さな神社があり、仕切りもなく、草が生い茂っているため、時々草刈りをしています。神社といっても近所に住む農家の人たちが集まって管理している小さなお稲荷さんです。普段はほとんど人も来ず、荒れ放題になっているため、草を刈っているのです。

 小さな竹が生え始め、雑草と一緒に草刈りばさみで切っていると、急に左足のすねのあたりに鋭い痛みを感じました。驚いて足元を見ると、スズメバチが舞っていて、目の前に見たことのある縞模様の丸い巣が見えました。「やばい!」と思って、急いで巣から離れ、家の中に入りました。そして、ネットで刺されたときの対処法を調べました。患部を洗い、ステロイド剤の入った軟膏を塗るとあったので、その通りにしました。大きなスズメバチに刺されたので、どれくらい足が腫れるのかとても心配しました。しかし、その日は少し腫れましたが、翌日はそれほどでもなく、数日で痛みもほとんどなくなりました。

 足は大丈夫でしたが、あのスズメバチの巣が気になります。ほおっておくと、すぐに大きくなると言われています。そうなると、草刈りもできず、再び刺される危険性もあります。スズメバチの巣はまだ直径15センチぐらいで、自分でも処置できるようような大きさですが、いくら小さいとはいえ、スズメバチの巣です。万が一、また刺されると、一度刺されて抗体ができているため、アナフィラキシーショックが起きるかもしれません。

 もしかしたら、自治体で駆除してくれるのではないかと思い、私の住む函南町のホームページで調べてみました。蜂の駆除は現在は行っていません。うーん、残念と思っていると、駆除するための防護服一式(ネット付ヘルメット、つなぎ服、手袋、長くつ)を無料で貸し出しているということでした。また、業者に依頼する場合は、町内の専門業者を紹介していました。

 初めは巣が小さいので、虫取りの用の網を使って簡単に駆除できると思い、町役場に電話して、防護服を借りることにしました。ネットで駆除方法を調べてみると、日中は活動が活発なので、朝早くか夕方の方がいいとありました。朝早くは大変だから、日が沈む夕方に駆除しようと思いましたが、この暑さの中で防護服を着て、駆除するのも大変です。駆除業者はいくらくらいで駆除してくれるのか、もし、1万円以内なら、お願いしてもいいかなと思い、業者に電話してみました。最初の業者は1万5千円から受けているという返事。だよね、それくらいはかかるよねと思いつつ、もう一つの業者に電話すると、草むらにある小さい巣であれば、4,400円でいいですよという返事。やったあ、それなら、頼んでしまおう。お願いしますと返事すると、さっそくその日の18時に来てくれるということになりました。

 18時過ぎに業者の方が二人で来て、巣を確認すると、防護服を着ることもなく、殺虫剤を使ってあっという間に駆除してくれました。その間、5分ぐらいだったでしょうか。巣を除去した後も殺虫剤を撒いてくれて、さすがにプロ。やはりその道の専門の方にお願いするのが一番いいと改めて痛感しました。これで、安心して、これからも草刈りができます。

人生万事塞翁が馬(2023年06月10日)

 テニスの全仏オープン混合ダブルスで加藤未唯選手が優勝しました。4日前には自身が打ったボールがボールガールを直撃し、失格処分となり、失意のどん底にありました。そんな彼女が満面の笑みを浮かべて、優勝カップを掲げる姿を誰が想像することができたでしょうか。

 「人生万事塞翁が馬」ということわざがあります。中国の故事に由来する教訓で、人生は吉凶、禍福が繰り返され、一見悪いことが良いことにつながったり、反対に良いことが悪いことに変わったりすることがあることを伝えています。

 加藤選手も失意のどん底から混合ダブルスを勝ち抜き、見事にローラン・ギャロスの優勝者の歴史に、自身の名前を刻んだのです。まさに、人生万事塞翁が馬、悪いことがあればいいこともある、それを地でいった一週間ではなかったでしょうか。

 自分の人生を振り返ってみても、悪いことがあってもいいことにもつながる連続だったことを痛感します。志望大学の受験失敗後に合格した大学での充実した学園生活、妻の病死とその後の幸せな再婚、連戦連敗の就職活動を経て地元大学への就職決定など、悪いことがあってもそこには次の成功につながる下地がしっかりと準備されています。

 たとえば、私の著作の中でも一番売れているテキストの一つ『異文化理解入門』の出版では、当初私が希望した出版社からは出版を断られました。その後、他社にも当たりましたが、やはり色よい返事がありませんでした。しかし、断られた出版社からのコメントを参考に、修正を加え、より工夫した内容にして、次の出版社に打診したところ、すぐに採用が決まりました。そして、現在まで毎年版を重ねる人気のテキストとなりました。これなどは、悪いことがあってもそこであきらめず、そこから学び、良い結果につなげることができた事例だと思います。

 「ピンチはチャンス」という表現もあります。ピンチを次につなげるチャンスととらえることで、成功につながることを意味します。ビジネスの世界でもよく耳にする言葉です。人生万事塞翁が馬ですが、ただそれを傍観しているのではなく、悪いことは良いことへつなげる準備として、良いことは慢心を戒める機会として、捉えることが重要なのではないでしょうか。

 全仏オープンの加藤選手は優勝スピーチの中で、「ボールガールが無事であることを願っています。そして、女子ダブルスで対戦したペア、サラとマリエにも、またいい試合をしたいと私は願っています。」とコメント読み上げ、世界中からバッシングを受けた相手ペアに対しても再戦を呼びかけました。このような加藤選手のポジティブな姿勢が、失格処分という最悪の状況の中から、混合ダブルス優勝という結果をもたらしたのだと思います。失格後の加藤選手には世界中のテニスファンから多くの声援が送られました。その声援を糧にして、優勝を勝ち取ることができました。もし、失格してなかったら、これほどの注目を浴びなかったでしょうし、混合ダブルスで優勝できたのかはわかりません。ただ一つ言えることは、苦境をバネに次の試合に臨んだ加藤選手の前向きな精神力があったからこそ、最善の結果が待っていたのではないだろうか、私はそう感じてなりません。

「伝える」と「伝わる」(2023年05月03日)

 昼食を取りながらテレビを見ていたら、「徹子の部屋」に山川静夫さん(元NHKアナウンサー)が出演しました。「久しぶりだなあ」と思ったのもそのはずで、定年退職後、脳梗塞を患い、失語症の後遺症が残っていたそうです。アナウンサーにとって致命的な症状でしたが、アナウンサーが発声練習に使う「アナウンス読本」を繰り返し声に出し、見事に失語症を克服したそうです。

 画面の山川さんは90歳とは思えないほどお元気で、話し方も失語症だったことを感じさせないぐらい、活舌がなめらかでした。そんな山川さんは、失語症をきっかけに「話す内容は『伝える』ことより『伝わる』ことが大切だと気付いた」と話していたのがとても印象的でした。

 「伝える」と「伝わる」は他動詞と自動詞のペアです。日本語にはこのようなペアがたくさんあります。たとえば、「開ける-開(あ)く」、「割る-割れる」「壊す-壊れる」「増やす-増える」「掛ける-掛かる」など、日本語の特徴と言っていいでしょう。多くの言語は1つの動詞で自動詞としても他動詞としても使われます。たとえば、英語と日本語を比べると、

 英語 : I open the door/The door opens

 日本語:私がドアを開ける/ドアが開(あ)く

となります。違いがお分かりになるでしょうか。英語では、“open” で両方とも言えますが、日本語では、「開ける(他動詞)-開(あ)く(自動詞)」というペアの動詞で意味の違いが表現されています。

 日本語では人間の「動作」を他動詞が、動作によって生じる「変化(目的語)」を自動詞が表します。上の例で言えば、ドアを開けるという動作では他動詞が、ドアに生じた「変化」は自動詞が使われていることになります。この「動作と変化」という関係が、他動詞と自動詞のペアの基本になります。

 しかし、目的語に変化を起こさない動作や、動作を必要としない変化もあります。そのような場合は、片方の動詞しかありません。前者であれば、「(本を)読む」「(外を)眺める」「(子供を)ほめる」などの他動詞で、読んだり、眺めたり、ほめたりしても目的語には変化は生じません。反対に、後者であれば、「(どんぐりが)実る」「(星が)光る」「(木が)茂る」などの自動詞で、動作を必要としない自然現象の変化です。

 冒頭の「徹子の部屋」の話に戻りますが、山川さんの言う「伝える」と「伝わる」はまさにこの動作と変化の関係になります。アナウンサーが一方的に伝えるだけではなく、しっかりとそれが変化として届き、視聴者に受け止められる重要性を認識する必要があるということでしょう。

 私は多くの人に講義するのが仕事ですが、自分の伝えたかった内容が思った通りには伝わらなかったという経験をよくしました。そのことから、どのようにしたら伝えたい内容が相手にしっかりと伝わるのか、いろいろと考えるようになりました。それがこれまでの私の著作に生かされていると思います。山川静夫さんの「伝える」よりも「伝わる」ことの重要性の指摘は、話すことを生業としている人にとっては、まさに常に留意すべき金言になるのではないでしょうか。

祝WBC優勝と認知言語学(2023年04月06日)

 こんなドラマのような台本を一体誰が作ったのでしょうか。WBC決勝戦、日本対アメリカ、スコアは4対3の日本リード、9回表、ツーアウト、カウントはツースリー、投手は大谷翔平、バッターはロサンゼルス・エンゼルスのチームメイトでもあるマイク・トラウト、過去に3度のMVPを獲得しているMLBを代表する強打者です。トラウト選手がホームランを打って同点にするか、大谷翔平が打ち取るか、手に汗握る白熱の勝負の行方はトラウト選手の空振り三振で大谷翔平に軍配が上がりました。

 大谷選手がトラウト選手から三振を奪った瞬間の視聴率は46%、WBC全7試合のすべてが40%を超えるという、日本中が大騒ぎの一大イベントとなりました。テレビでは連日WBCの話題で盛り上がり、2週間経った現在でもその興奮は収まりそうにありません。NPB(日本プロ野球機構)も開幕し、WBCの余韻がそのまま日本の野球の公式戦にまで続いています。

 朝日テレビの朝の情報番組のコメンテイターをしている長嶋一茂さんが面白いコメントをしていました。いわく、「野球がベースボールに勝った。」このコメントを聞いて、なるほどと思ってしまいました。「野球」と「ベースボール」はルールは同じですが、両者には大きな文化的な相違が存在しています。バントを多用し、塁に出た選手をなんとか進塁させ、得点に結びつけようとする日本式の野球に対し、個々の打者が目一杯打って得点をめざすアメリカンベースボール。WBC決勝戦での9回表のアメリカの攻撃にその一端を如実に見ることができます。

 大谷は先頭打者をフォアボールで出し、無死一塁のピンチでした。しかし、次打者が強振をしてセカンドごろゲッツーとなりました。もし日本が攻める側だったら、おそらくバントをしていたのに違いありません。もし、アメリカがバントをして、走者を二塁に進塁させていたとしたら、大谷対トラウトの対決もまた違ったものになっていた可能性があります。トラウトからすればヒットで同点になるわけですから、一発を狙う必要がなくなります。ワンアウトでもあるし、気持ちも少し楽になります。

 いみじくも長嶋一茂さんが指摘した「野球」と「ベースボール」の違いは、認知言語学でいうフレーム理論で説明することができます。フレームとは、ある概念を理解するのに前提となるような知識構造のことを意味します。つまり、ベースボールという球技に対する考え方がここではフレームとなります。野球道として精神性を重んじ、自己犠牲もいとわない戦術を前提とする日本型ベースボールと客観的なデータをもとに合理的に個々の力で戦うアメリカ型ベースボールは、ルールは同じでもそれを理解する知識構造が違っていると考えることができるのです。

 フレーム意味論を唱えたチャールス・フィルモアは語をはじめとする言語表現はフレームを喚起し、その意味はフレームを背景にして初めて理解されるとしました。同じスポーツであっても日米ではベースボールの背景となる歴史観や思い入れ、取り組み方などが異なっているんですね。そうやって考えると、すべてのスポーツにも当てはまり、国によって異なるフレームを考えてみるのも楽しくなります。

 さらに、これを異文化コミュニケーションの視点に移してみると、このフレームは「見えない文化」に相当します。ベースボール自体は目に「見える文化」ですが、その背景となるフレームは目には「見えない文化」となり、それが原因で多くの摩擦が起こったりします。MLBではホームランを打った選手が喜びすぎると次の打席で死球に見舞われるということを長谷川滋利さん(元大リーガー投手)が指摘していました。このMLBの不文律を知らない中南米選手による開放的な感情表現からトラブルになることもよくあるそうです。これが「見えない文化」であり、まさに「フレーム」としても理解することができるんですね。

 私は、講義の中で「フレーム」や「見えない文化」を説明する機会がよくありますので、今度講義する機会があったら、このWBC優勝と絡めて説明すれば、受講者の皆さんの理解力も少しは上がってくれるのかもしれません。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)(2023年03月13日)

 WBCが盛り上がっています。日本はプールBの予選を全勝で勝ち上がり、16日(木)の準々決勝で、イタリアと戦います。ここまで大谷選手をはじめ、ヌートバー選手、近藤選手、吉田選手の野手陣、ダルビッシュ選手、佐々木選手、山本選手らの投手陣の大活躍で、大差で勝利をものにしてきました。連日テレビで大きく取り上げられ、これまで野球とは無縁であった人までファンとなり、日本中がお祭り騒ぎのようです。

 どの選手も大活躍なのですが、その中でも特筆される選手として、ヌートバー選手の存在を挙げることができます。WBCに召集されるまでは日本では全くの無名の選手で、そんな日系人の大リーガーがいるなんて、ほとんどの人が知らなかったほどです。それが、来日してWBCメンバーに加わるやいなや、その明るい性格でメンバーの人気者になり、ペッパーミルのパフォーマンスなどで、大きな話題を提供しました。さらに、大会の予選が始まると、そのシュアのバッティングや闘志あふれるガッツポーズ、身体能力の高さを見せつける守備力で多くの日本人を魅了しています。

 そんなヌートバー選手は、ヒーローインタビュー(韓国戦)でデッドボールを受けたことについて、「凝っていたところに当たってほぐれたので、ちょうど良かったと思います。」とユーモアあふれるコメントで球場を沸かせました。これを聞いて、あっ、アメリカ人っぽいユーモアだなと思いました。アメリカ人って、相手のことを気遣うユーモアがとても上手だと感じることがよくあります。アメリカ人の友人の家に招待されて、帰るときに玄関の外にあった傘立てにぶつかって倒してしまい、「ごめんなさい」と謝ると、「じゃまだから前から捨てようと思っていたところなの。こちらこそ、ごめんなさいね。」などと答えたりしてくれます。

 欧米ではユーモアを上手に使う人は上品で知的な人だとされています。私がオーストラリアにいたとき、スピーチをする人は必ずと言っていいほど、スピーチの前にクスッと笑わせる話をしていました。いいなあと思っていた私は、日本の学会の発表で、最初にジョークを入れたところ、まったく白けて、会場はシーンとなってしまいました。ジョークを予期している外国とそうではない日本との文化の差を強く感じさせられました。

 文化の違いと言えば、大谷選手の待望の特大1号が飛び出た豪州戦で、そのホームランボールを手に入れた女子大生の無邪気な振る舞いがアメリカで話題となっています。この女子大生は周りの人にボールを渡し、多くの人がボールとの記念写真を撮っていたからです。アメリカであれば、他人に渡したりすれば、なくなってしまう可能性が高いからです。お互いを信用しているからそのような行為ができるわけです。異文化コミュニケーションでは、性善説/性悪説の二項対立でこのような文化の違いを説明します。

 ヌートバー選手のデッドボールの話題に戻りますが、韓国のSNSでは投手を睨んだヌートバー選手への批判で炎上したと聞きます。しかし、大リーグでは背中への死球は故意であると見られることが多く、特に大谷選手へのデッドボールを公言して話題となった投手だっただけに、帽子を取る動作もない韓国人投手への怒りの睨みだったようです。

 これと対照的だったのが、日本人選手の振る舞いで、予選の最終戦で佐々木朗希投手がチェコのエスコラ選手の膝に162キロの豪速球をぶつけたとき、帽子をとって謝りの気持ちを表していました。さらに、一塁に立ったエスコラ選手に一塁の守備をしていた山川選手までが帽子をとって謝っていたシーンは非常に印象的でした。海外では考えられない行為です。山川選手は日本チームの一員として、佐々木選手のデッドボールを自分のことのように感じて、エスコラ選手にあやまったのだと思います。日本では身内の不祥事を自分のこととして謝ることはよくあることですが、外国では普通は考えられません。

 これには後日談があり、佐々木投手はチェコ代表が宿泊しているホテルを訪れ、お詫びに両手いっぱいのお菓子を渡して、チェコの選手を驚かせたということです。チェコの選手は感激し、日本人や日本文化に魅了されていると、ニュース記事は伝えています。

 WBCの熱戦はまだまだ続きます。これからも多くの話題が提供されるでしょう。決勝戦が終わるまで、目が離せません。次回のブログは日本の優勝を祝うブログにしたいものです。

大学教員の春休み(2023年2月18日)

 先週で大学の授業が終わりました。私立大学は1月末に終わるところが多いですが、国立大学や公立大学では2月の初めまで授業や試験があるのが普通です。学生は春休みになりますが、教員はどうかというと、これからが大変です。そうです、成績をつけなければなりません。

 私のクラスは人数が少ないため、成績をつけるのも楽なほうですが、大クラスの講義科目では大変だろうといつも思います。実は私の担当する科目の1つ「日本事情(異文化理解)」は今年度の履修者が50名を超え、例年の1.5倍ほどになり、成績をつけるのが大変でした。このクラスは留学生と日本人学生の混成クラスで、人数もちょうど半分ぐらいずつでした。異文化理解について、留学生と日本人学生がグループで話し合うのがメインの活動です。成績は学期中に提出する3回のエッセイによって決まります。エッセイの分量はA4用紙1~2枚で字数は大体1,000~2,000字ぐらいです。これらのエッセイを50枚以上読むのはかなりハードです。私はコメントを必ずつけて返却するので、すべてを読み終えるのには数週間かかります。特に最後の課題ではほとんどの学生が2000~3000字のエッセイを提出するので、さらに読むのに時間がかかります。

 時間がかかって大変ですが、学生の気づきや学びを読むのは楽しいものです。私の授業は異文化コミュニケーションを普段の生活の中で考えるもので、エッセイは文献などを調べて記述するものではなく、異文化コミュニケーションと関連する自分自身の体験談を書くものであり、そこからの気づきや学びが成績のポイントとなります。50人の学生の学びや気づきはすべて異なっており、とても興味深く、と同時に勉強させられることが多々あります。

 自分以外(他者)はすべて異文化という視点で考えるため、海外に行ったことのない人、外国人と交流したことのない人でも、毎日の生活で様々な気づきや学びを見つけることができます。自分以外は異文化と考えれば、毎日の暮らしはまさに異文化コミュニケーションの連続になるからです。

 このクラスでは文化背景の異なる学生同士のグループディスカッションがメインの活動であるため、出席が重視されます。昨今の教育環境では出席を成績の一部にすることはよくないとされますが、私の授業では授業への貢献度という観点から、出席を重視しています。したがって、出席がよく、エッセイで自分なりの気づきや学びが書かれていれば「優」以上の成績になると言えます。

 エッセイの採点は主観的な面が強く、それゆえ、上のような成績のつけ方になってしまいますが、読んでいて、説得力があり、本当に心からの学びがあふれているものには「秀」を与えています。そのようなエッセイには読み手を感動させるような力強い表現力を持っています。上手にまとめてあるものよりも、心からの叫びをエッセイに書き込んでいるもののほうが、私も読んでいて書き手の心を感じます。

 多くの教員は授業の成績をつけると、特に人文系の教員にとっては、自身の研究を深めることができる貴重な時間(春休み)となります。調査に出かけたり、資料を探しに行ったり、自宅にこもって論文を執筆したり、学会に出席したりと、学期中にはできなかった楽しみの時間(春休み)となるのです。

非言語メッセージの重要性(2023年1月29日)

 今朝の静岡新聞朝刊に「首相の『身内』批判相次ぐ」という記事が掲載され、その中で秘書官(首相の長男)のロンドン公費観光や側近である木原官房副長官の横暴な態度がやり玉に挙がっていました。私が興味を持ったのは、「木原官房副長官の横暴な態度」というところで、記事によると、取材に応じる首相の近くで、木原氏の両手をポケットに突っ込んでいる様子や脚を組む癖などが指摘されていました。

 木原氏が何か問題発言をしたわけではないのにも関わらず、このような批判が自民党内で起こるのは、木原氏の非言語メッセージによるものです。私たちは発言しなくても、メッセージを発しています。言葉によらないコミュニケーションのことを非言語コミュニケーションと呼び、私たちのコミュニケーションの多くの部分を担っています。

 バードウィステルという研究者の調査によると、二人の会話のなんと65%が動作やジェスチャーなどの非言語によるものであると報告しています。また、心理学者のメラビアンは、人から受けるインパクトの実に93%が言語以外のメッセージ(声の調子=38%、表情55%)から来るとまで言っています。「7-38 – 55ルール」などとも呼ばれ、ビジネスや教育、コミュニケーションの分野などで活用されています。

 メラビアンの法則と聞くと、小泉郵政民営化選挙(第44回衆議院選挙)を思い出します。自民党は米国のコンサルタント会社と契約し、メラビアンの法則にのっとった選挙戦術を練ったのではないかという噂が広まりました。それは、言葉(7%)は「郵政民営化に賛成か反対か」だけに絞り、小泉首相のパフォーマンス(「声の調子」と「表情」で93%)で選挙戦を乗り切り、その結果、296議席の当選という大勝利につながったというものです。

 私自身も米国に行ってホームステイした時のことを思い出します。そこの家族がクリスチャンで、日曜参拝に連れて行ってもらったときのことです。その時の様子や教会内の景色は今でも視覚的に覚えていますが、家族との会話や牧師の説法はまったく覚えていません、たった1つの言葉を除いて。それは、牧師が繰り返し発していた「Time is short(光陰矢の如し)」というフレーズです。牧師が話した全体の内容はまったく覚えていませんが、40年経ってもこの一言だけは忘れません。

 非言語メッセージの重要性が理解できれば、普段の生活において実践的に活用することができます。私は、講演する機会がある時は、できるだけ結論のメッセージはシンプルに、それを繰り返し話すようにしています。私の話した全体の内容を覚えている人はほとんどいません。であれば、一つだけ、重要なメッセージを伝えるように努力しています。

 冒頭の木原氏の横暴な態度に戻りますが、私たちはジェスチャーなどの身体動作、体の色や大きさなどの身体的特徴、服装などの人工品などによって、何も言わなくてもメッセージを発しています。就職活動にリクルート・ファッションが重要視されるのは、そのためです。木原氏はこのことを十分に理解し、首相をサポートする官房副長官としての振る舞いを再考してほしいです。私たちも、普段の生活で非言語メッセージを意識することで、様々な場面で効力を発揮するでしょう。「私たちは存在するだけでメッセージを発している」、それをいつも忘れないでいたいものです。

教育はサービス業?(2022年12月31日)

 教育はサービス業かという議論があります。小学校や中学校などの教育現場でモンスターピアレンツと呼ばれる父兄の過大でわがままな要求は「先生がサービスの提供者で、生徒やその父兄がお客様」という間違った認識によるものだと言われます。確かに、人間の形成期である小学校や中学校は、社会で生きるための基礎的な知識を提供する場だけではなく、人格を形成するための道徳教育の場でもあり、サービス業と呼ぶにはふさわしくないように感じます。学校、社会、家庭などが一体となり、子どもの人間形成を育むという捉え方のほうが正しいのではないでしょうか。ただし、私立の場合は、教育の質が悪ければ子どもが集まらず経営が成り立たないという点で、公立と比べて、サービス業的な側面が強くなるということは言えるかもしれません。

 では、大学教育はどうなのでしょうか。私は30年以上大学で教鞭を執っていますが、小・中・高の教育と比べ、よりサービス業に近くなるのではないかと感じています。それは、大学は道徳教育の場というより専門知識を与える場であり、学生は成長した大人として扱われるからです。つまり、自分の選択として大学を選んでいるわけであり、嫌ならやめることも可能です。選択科目も多くあり、つまらない授業であれば、履修しない自由があります。

 多くの大学で、教育の質を改善・向上させるための取り組みであるFD(ファカルティ・ディベロップメント) が行われています。授業に対するアンケートは必須であり、教員は学生の満足度を意識しながら、授業計画を立てなければなりません。私が大学生であった頃のように、難解な話を教授が一方的に話して終わるような授業は通用しなくなっています。アクティブラーニングを取り入れ、学生が自主的に授業に参加する取り組みなど、様々な授業形態が行われるようになっています。

 これが、社会人教育になると、さらにシビアになります。私は、民間の日本語教師養成講座でも教えていますが、50万円を超える高い授業料を払って受講する社会人は教え方が悪いと、容赦ないクレームを付けます。自分たちが払った代金に見合う内容ではないと、満足しないからです。

 私は大学で教えるかたわら、民間でも教える経験を通して、教育に対する考え方が大きく変わりました。受講生さんの満足度を上げるためにはどのようにしたらいいのか、学ぶとことが大きかったと思います。そのために重視したのがアンケート調査です。講座終了後には必ず無記名によるアンケートを実施し、そこに書かれた改善点に応えるように教育内容を修正してきました。アンケートに書かれた要望の中には「それぐらいは自分でやれよ」と思うようなわがままな要求もたくさんありましたが、それに対しても一つ一つ真剣に向き合ってきました。

 その結果、受講生さんから、満足度の高い講座であるという評価を受けるようになりました。その評価をもとに、出版したのが『考えて、解いて、学ぶ日本語教育の文法』『日本語教師のための入門言語学-演習と解説』(以上、3Aネットワーク)と『異文化理解入門』(研究社)です。いずれも増刷を重ね、わかりやすくて使いやすいテキストだという評判をいただいています。

 現在でも、無記名アンケートは必ず続けるようにしています。毎回自分が予想もしなかった改善点が見つかります。私の理想は全員が100%満足するような授業を提供することです。それは、至難の業です。もしかしたら不可能かもしれません。しかし、それに向かって、毎回授業を改善し続けています。それが私の現在のVW(ヴィジョン&ワーク)でもあります。いつかその夢がかなうことを信じて、今日も授業の改善に取り組んでいます。

ジョハリの窓(2022年11月24日)

 皆さんは「ジョハリの窓」というのを知っているでしょうか。ジョセフ・ラフトとハリントン・イングラムという心理学者によって考案された自己分析ツールで、両者の名前を取って「ジョハリの窓」と呼ばれています。異文化コミュニケーションではおなじみの窓ですが、就活の自己分析や企業の社員教育・研修などにも活用されています。

 自分自身を4つの窓から見つめ直すというもので、「自己開示の窓(自分も他人も知っている部分)」、「盲目の窓(自分は気が付いていないが、他人は知っている部分)」、「秘密の窓(自分は知っているが、他人は知らない部分)」、「未知の窓(自分も他人も誰も知らない部分)」から成ります。私たちには誰にでもこの4つの窓があり、この窓を意識することで、客観的な自己分析につなげることができます。 

 他者との交流においては、「自己開示の窓」が重要になります。自分のことを相手に話すことで、相手も安心していろいろな話をしてくれます。自己開示が小さいと、他者との交流もスムーズにいきません。「盲目の窓」は自分のことを知っているようで意外と知らない部分があることを教えてくれます。時々学生から先生は〇〇さんに似てますねと言われて、自分では全然似ているとは思えないので、とても驚くことがあります。その場合、他人にはそう見えるんだと受け入れるようにしています。「秘密の窓」は、誰にも言えない秘密のことであり、どのような人にも大なり小なり他人には知られたくない部分があるでしょう。最後の、「未知の窓」は、自分も他人も知らない、無限の可能性を秘めた部分です。ジョハリの窓で一番重要なのは、もしかしたらこの未知の窓ではないかと私は感じています。

 最近よくTVや雑誌で見かける若宮正子さんは定年後にパソコンを始め、81歳の時にひな人形をひな壇に正しく配置するゲームアプリ「hinadan」を開発したところ、7万ダウンロードを突破し、世界的に有名な女性となりました。会社を辞めた後は母親の介護をするつもりだったので、家から出られないと思い、チャットするために初めてパソコンを購入したのだそうです。その時点で、若宮さんが世界的に有名になるなんて、本人を含めていったい誰が想像することができたでしょうか。

 これが、ジョハリの窓の「未知の窓」だと思います。若宮さんの話は偶然ではありません。誰もがそのような可能性を持っているのだと思います。若宮さんいわく、「とにかくバッターボックスに立ってみるんです。バットを振ったら当たるかもしれないじゃないですか。そしたら、私は当たっちゃったんです。」

 私の人生を振り返ってみても、大学時代からは想像もつかないような仕事に就いています。私は67歳ですが、若宮さんのようにバッターボックスに立ち続けていたいです。とにかくバットを振っていれば、もしかしたらいつかボールに当たるかもしれません。これからも何かにチャレンジする、そんな気持ちをいつまでも持ち続けたいと思います。

Vision & Work(2022年10月30日)

 読者の方から時々私の著作にサインをしてほしいと頼まれることがあります。その際にサインと一緒に「Vision & Work(略してV.W.)」と、記すことにしています。正しくは、「Vision & Work Hard」で、「ビジョンをもって、一生懸命に努力する」という意味なります。簡単に言えば、「夢に向かって頑張る」ということです。

 なぜ、この言葉が好きかというと、私自身、夢を持つことで、頑張ることができ、小さい夢ながら、達成することができたからです。小さい夢が実現すると、もう少し大きな夢が見えてきます。今度はそれに向かって、努力し、それが達成されると、また次の夢が現れる、私の人生はそんな夢を追い続ける人生だったような気がします。

 人は誰でも子供から大人にかけて、漠然とした夢を持っていると思います。そんな夢を追い続けることができたとしたら、なんて幸せな人生なんでしょう。多くの人は、就職のため、生活のため、結婚のため、自分の抱いていた夢を捨てざるを得なくなります。そのため、定年退職をしてから、第2の人生で、自分の夢に向かう人も多くいます。大学や大学院に進む人、海外留学をする人、カフェや食堂などを開く人、農業に従事する人、やりたかったスポーツをとことんする人、世界旅行に旅立つ人。そんな人からは夢に向かっている充実した気持ちが伝わってきます。

 実はこの言葉は私の言葉ではありません。ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学IPS細胞研究所所長の山中伸弥さんのモットーです。山中さんはアメリカで最先端の研究技術を身につけましたが、そこの上司であったロバート・マーレー先生から研究者として成功するための秘訣を教えてもらったそうです。それが、V.W.だったんですね。山中さんは、マーレー先生から、「君はワークハードしているのはわかるが、ビジョンはなんなんだ?」と聞かれ、「いい研究をして、論文をたくさん発表して、研究費をいっぱいもらって、偉くなることだ」と即答したそうです。すると、「何を言ってるんだ、それは、ビジョンではなく、ビジョンを達成するための手段じゃあないか。君の本当のビジョンはなんなんだ。なぜ医者をやめたんだ、なぜ、アメリカまで来たのか。」と聞かれ、はっとしたそうです。

 山中さんは、難病で亡くなった父親のような患者を救いたいという思いで、研究者になったことを思い出したからです。ものすごく単純明快で大切なビジョンを忘れていた自分に驚くとともに、V.W.という言葉のおかげで、自分の夢を思い出すことができたそうです。現在でも自分に言い聞かせるように、V.W.の話をいろいろな人に伝えているのだそうです。

 私は、山中先生のように初めから大きなビジョンがあったわけではありません。小さな夢の積み重ねで、少し大きなビジョンともいえる夢を持つことができるようになりました。大学時代は海外に行ってみたい(→ブラジルに渡る)、旅行関係の仕事がしたい(→一般旅行業務取扱主任者試験に合格)、英語がもっと上手になりたい(→アメリカ語学留学)、日本語関係の勉強がしたい(→オーストラリアの大学・大学院留学)、大学の教員になりたい(富士フェニックス短期大学に採用)、世界中の人に日本語を教える仕事がしたい(→静岡大学留学生センターに採用)、自分の教育経験を本にしたい(→書籍の出版)、そして、今の私のビジョンは、日本語教育に貢献できる人間でありたいというものになりました。簡単に書きましたが、これらの夢の実現においては、挫折の連続でした。あきらめないでなんとか粘って達成できたものばかりです。

 ですから、若い人には言いたいです。どんな小さい夢でもいいと思います。その夢が実現するように、頑張ってほしいです。後で後悔するより、後悔しない人生を選んでほしいと思います。努力すれば報われるのではなく、本当の夢であるなら、報われるまで努力することが重要だと私は思います。

変な英語(2022年9月27日)

 私の趣味はテニスですが、先日私が着ていたテニスウエアの英語を見て、変な英語だと指摘してくれた友人がいます。彼は外資系の会社の日本支社長を務めたほどの人物で、英語はペラペラです。私の胸に書かれた‟Pinch is a Chance” は英語ではおかしいと言われました。確かに日本語では「ピンチはチャンス」とよく言いますが、英語ではあまり聞いたことはありません。調べてみると、正式には “Tough times bring opportunity” が正しい訳になります。この英文の書かれたウエアは日本のスポーツ大手のブランドメーカーの製品ですが、大手だからと言って、英語が正しいというわけではないようです。

 この出来事をきっかけに、昔の留学生活を思い出しました。私は20代後半にオーストラリアの大学院(オーストラリア国立大学-ANU)に留学していましたが、大学の敷地内にある3食付きの学生寮に住んでいました。寮の食堂ではいつも一緒に座って食べる仲の良いオーストラリア人学生がいました。彼がいつもルーティンチェックだと言ってやっていたのが、私の着ているTシャツの英文を読むことでした。日本から持っていったTシャツのほとんどに英文が印刷されていたので、この友人はいつも首を傾げながら、どういう意味なんだろうとあれこれ考えていたのを思い出します。私はその時に初めて、Tシャツに書かれた英文が間違っていたり、不自然な英語であったりするのを知りました。

 日本に帰国してから、巷に溢れる英語表記が気になり、意味を考えるようになりましたが、ほとんどが、ジャパニーズ・イングリッシュであり、スペルや文法の間違いだらけであることに驚かされました。考えてみれば、私も以前はTシャツに書かれた英文の意味などを考えたことはなく、1つのデザインのように見ていました。つまり、英文が正しくなくても、多くの日本人にはわからないし、どちらでもいいことなんですね。変な日本語Tシャツが世界中で着られているのと同じようなものです。

 日本に帰国してから気になっていた「変な英語」も最近はあまり気にならなくなり、以前のようにデザイン感覚で見ていました。そんなときに、友人から「変な英語」を指摘され、昔のことを思い出したわけです。

 ネットで「変な英語」で検索すると、おもしろい事例がたくさん報告されています。一部を紹介すると、動物のイラストが大きくプリントされたTシャツに “The friend is this animal” とあります。おそらく「プリントされた動物は私の友達」と言いたいのでしょうが、訳としては「その友達はこの動物」となり、変な英語です。正しくは “This animal is a friend of mine” とするべきでしょう。その他にも、女性がかぶっている野球帽に “I lost my virginity in MADAGASCAR” (私はマダガスカルで処女を失った)、女性のTシャツに大きく “DIARRHEA” (下痢)、ひどいのになると “I’M COCK”(私はペ●ス)とありますが、着ている女性は書かれた意味をわかっているのでしょうか。

 昔と違って外国人があふれる世の中になりました。コロナの収束も近づき、多くの外国人が再び日本を訪れるようになるでしょう。その時に陰で笑われないためにも、私たちは英語をデザインとして見るのではなく、その意味にももっと気を配る必要があるのではないでしょうか。

長男の結婚式(2022年8月22日)

 私には3人の息子がいますが、その長男が7月18日に結婚式を挙げました。入籍は2年前でしたが、コロナ感染拡大の影響を受け、昨年挙げる予定だった結婚式が今年に延期になっていたものです。いまだにコロナ感染が収まらないこともあり、親しい親族と友人だけのこぢんまりとした結婚式でした。

 横浜のみなとみらいを一望できる会場は絶景の式場でした。夜だったらもっときれいだったろうなと、少し残念に思ったほどです。それにしても、最近の結婚式の手順には驚きました。新郎新婦と親との対面シーンやプロによる二人の紹介動画、調理場が式場の壁を隔ててあり、それがガラス越しに見えるようになっていたり、プロのカメラマンによる当日の式の様子が宴会のエンドロールで流れたりと、見事でした。

 最後に両家を代表して挨拶をする予定だったので、思いっきり飲めなかったのが少し残念でしたが、フルコースの食事はとてもおいしかったです。

 実は結婚式の2日前に体がだるいと感じ、熱を測ると37.5度もありました。もしかしたら、コロナに感染したのではないかと、かなり焦りました。両家代表の挨拶を頼まれていましたし、モーニングの衣装もレンタルしてありました。新郎の父親がコロナ感染で出席できないなんて、洒落にもなりません。息子に連絡すると大事な結婚式を前に大混乱させてしまうと思い、翌日まで様子を見ることにしました。

 私の熱が出た時の対処法は子どもの頃から決まっています。布団の中で体を温めて思いきり汗をかいて熱を冷ますというものです。今回も午後から長袖長ズボンで布団の中に入り、下着がびっしょりとなるまで汗をかき、何度も着替えました。そうすると、夜には36.9度まで下がりました。その後も汗をかき続け夜中にも着替えをすると、翌日には平温に戻っていました。とても安堵したのを覚えています。もしかしたら、この時、コロナに感染していたのかもしれません。検査をしていないので、なんとも言えませんが。

 当日は、平穏無事に結婚式、披露宴と進み、私も用意していた両家代表の挨拶をする時間が近づいてきました。その時です、新郎と新婦の生い立ちムービーが流れました。そこには、小さいころに亡くなった新郎の母親(病気で他界した私の先妻)の姿が映し出されたのです。それまでは何ともなかった私の気持ちに突然何かこみ上げてくるものを感じました。(ずるいよ、お母さんの映像を流すなんて、聞いてなかったよ。)そこから、涙を抑えることができませんでした。

 両家代表の挨拶では、涙で声が上ずり、最初はまともに話をすることができませんでした。途中から感情も落ち着き、何とか挨拶を終えることができました。あとで、長男から「まさか父さんが言葉につまるなんて思ってもみなかった」と言われましたが、結婚式の最後に、亡き妻の姿を見せられたら、それは感極まるでしょう。天国のお母さんもきっと息子の晴れ姿に喜んでいると思います。息子夫婦にはすばらしい家庭を築いていってほしいです。<今回は親ばかのブログで、申し訳ありませんでした。>

安倍晋三元首相銃撃事件(2022年7月26日)

 安倍晋三元首相が銃撃され死亡するというショッキングな事件が起きました。衆人環視の中、世界で最も銃規制の厳しいと言われる日本で発生した事件です。現場の映像はすぐにネット上を駆け巡り、世界中に大きな衝撃を与えました。

 海外では、今回の銃撃事件を暗殺(Assassination)として伝えています。暗殺とは、おもに政治的・思想的動機に基づき要人を非合法に殺害することを意味し、テロリズム行為の一形態に分類されます。日本でも、民主主義への挑戦、国家に対するテロ行為という論調で銃撃事件を説明する記事が多く見られました。しかし、当初より、思想信条による殺人ではなく、逆恨みによる事件であることははっきりとしていました。

 犯人である山上徹也容疑者は旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)への献金によって家庭を崩壊され、その恨みを安部元首相に向けたものだと見られていました。しかし、自民党と旧統一教会との癒着が明るみになるにつれ、果たして本当にお門違いの殺人だったのか、疑問に感じるようになりました。山上容疑者は「自分が安倍氏を襲えば、旧統一教会に非難が集まると思った」と供述しているそうです。とすると、安部元首相への銃撃は統一教会の存在を世間に知らしめ、その危険な体質を糾弾するという彼の目論見が見事に的中したと言えるのかもしれません。

 宗教と献金は切っても切れない関係にあります。宗教団体は献金によって成り立っているからです。国で言えば、税金のようなものです。私の父も某新興宗教団体の教師であったため、子どもの頃から‟献金”という言葉は聞きなれたものでした。毎月の教費(会費)に加え、教会に参拝に行けば玉串料、自分の先祖を祭るための祭祀料、いいことがあれば感謝献金、病気などになれば祈願献金、聖地を整備すると称した建設献金など、献金は山のようにあります。私の父は67才で癌でなくなりましたが、亡くなる直前まで自分は絶対に神様に生かされると信じていて、多額の献金をしたのを覚えています。宗教の世界では信じることが重要であり、どのような不幸があってもそれには何かしらの理由があると教えられます。

 山上容疑者の母親は今もって旧統一教会の信者であり、教団と連絡を取り合っていると言われます。私も宗教の世界に身を置いていたことがあるので、旧統一教会が今回の事件を信者にどのように説明するのか容易に想像することができます。もし私が教団の幹部であれば、母親にこのように言うでしょう。「人類を滅亡させたいサタンにとって最大の敵は統一教会です。そして、今サタンとの最後の戦いが始まりました。サタンは私たちの一番弱い部分を見つけ、そこに付け入ってきます。山上家の子息である徹也さんを利用し、安倍首相を殺害させたのです。そして、統一教をつぶすために、毅然と戦いを挑んできたのです。私たちは負けてはなりません。山上さん(母親)、あなたが悪いのではありません。サタンがあなたの息子を使ったのです。私たち人類はこの悪との戦いに負けることはできないのです。勝つまで戦い続けるのです。」

 宗教の教えを信じるというのは、世間の一般的な考え方からすれば、洗脳されるということになるのでしょう。その意味で言うと、すべての宗教の信者は洗脳されていると言っても過言ではありません。しかし、宗教によって救われる人が多くいるのも事実です。宗教活動のすべてが悪いとは私は思いませんが、信仰を深めるというのは信じることなのです。それがゆえに、一般的な常識では理解できないことが多々あるのです。今回の事件で、改めて宗教というものの存在意義を考えさせられました。

「飲み水ではありません」と “Don’t Drink”(2022年6月5日)

 静岡文化芸術大学で講義をするために、毎週三島から浜松まで新幹線を利用しています。プラットフォームで7時22分発の「こだま」を待っていると、到着した自由席の車両から多くの人が下車します。ほぼ満席の車両がガラガラになるので、座れないことはありません。3人席であれば真ん中が、2人席であれば片方が空いた状態で座ることができます。この状態は静岡まで続き、再び静岡駅でどっと人が降り、車内はガラガラになります。 

 私は新幹線を利用するときは指定席ではなく自由席に乗るようにしています。それは、指定席より自由席の方が空いていて、通勤時間帯でなければ、一人で2人席や3人席を独占することができるからです。指定席を通ることがありますが、ほぼ満杯で窮屈な印象を受けます。旅行で新幹線を使う人は席の確保のために指定席を取ることが多いですが、「こだま」であれば、空いていてしかも値段が安い自由席の方が快適だと思います。

 週に一度の新幹線通勤での楽しみはコーヒーを飲みながら、ゆったりと授業の準備をすることです。晴れた日は進行方向に向かって右側(2人席)の席に必ず座ることにしています。それは、富士山が見えるからです。三島で見えていた富士山は沼津に近づくにつれ、いったん車窓から姿を消します。これは、愛鷹山に隠れてしまうからです。しばらくすると、愛鷹山の左から富士山が再び顔を出し始めます。富士駅に近づくにつれ、頂上から裾野に広がる雄大な富士山を堪能することができます。

 新幹線の洗面所で手を洗っていると、蛇口の上に「飲み水ではありません」という注意書きがあるのに気がつきます。日本では水道水を飲むことができるので、間違って飲まないようにということなのでしょう。英語も併記されていて、‟Don’t drink” と書いてあります。日本語と英語の表記に言語表現の面白さを感じます。

 日本語表記は間接的な表現で、「飲み水ではない」だから、「飲むな」という意味になりますが、英語では直接的に「飲むな」と表現しています。日本語が間接的な表現を好むというのは有名です。電話で「田中さんはいらっしゃいますか?」と聞くのは「田中さんと話がしたい」という意味になります。英語では直接的に‟May I speak to Mr. Tanaka?” と言わなければなりません。相手の誘いに「いいえ」を使わずに婉曲的に断るのも日本人の間接的なコミュニケーションスタイルの例です。

 新幹線のドアには「指はさみ注意、ドアのすきまに手や指を入れないでください」というサインもあります。この場合は、間接的ではない直接的な表現になります。併記された英文を見てみると、‟Watch your fingers” となっています。‟Watch” は日本語で「見る」ですから、「指先を見ろ」ということになり、何か変だなあと思いますが、“Watch” には「注意して気をつける」という意味がありますから、訳としては「指先に注意しろ」ということになるのでしょう。日本語の「注意」には、英語の ‟Warn”(警告)や ‟Attention”(注目)、‟Notice”(忠告)などの意味もありますが、この場合は “Watch”がぴったりときます。

 このように、言語が異なればすべての意味が一致するような言葉はなく、状況に応じて表現を変えければなりません。外国語の言葉を1つの意味だけでとらえようとすると、正しい理解につながらないことがあるので、私たちは注意する必要があります。(ちなみに、この「注意する」は、‟keep in mind” になります。)

私たちの言語感覚(2022年5月2日)

 北海道知床半島沖で4月23日に遊覧船「KAZUⅠ(カズワン)」が消息を絶ち、1週間が経ちました。これまでに乗客乗員26名のうち14名の死亡が確認されました。事故直後、数名の乗客が救助されたというニュースが流れ、生存への期待が高まりました。その後、搬送された病院で死亡が確認されたというニュースがあり、悲しい気持ちになりました。それから何人も救助されたという報道が続きましたが、結局は救助された全員が死亡していたことが確認されました。

 このニュースを聞きながら、不思議な気持ちになりました。通常「救助する」というのは生存者を助けることを意味すると思ったからです。そこで、辞書で意味を確認しました。日本国語大辞典では「救い助けること。災害、貧困などで苦しんでいる人や遭難者を救うこと。」、デジタル大辞泉では「危険な状態から救い助けること。被災者・遭難者などを救うこと。」とあります。

 つまり、「救助する」は、生存していることを前提に使う言葉なのではないでしょうか。私が違和感を持ったのは、この点です。私の言語感覚では、死んだ人を救助するとは言わないからです。

 では、なぜ報道で「救助された」という言葉がさかんに使われたのでしょうか。それは、おそらく乗客乗員が発見されて病院に運ばれましたが、生存が確認されていないため、とりあえず、「救助」という言葉を使ったのではないでしょうか。しかし、上にも書いたように、「救助された」と言ってしまうと、私のように「生存している」と感じる人がいるのも事実です。プロのジャーナリストとしては、「発見されて、病院に搬送された」という記述のほうがより正確な報道であったように感じます。現在では生存がほぼ絶望視されていることもあり、「発見、死亡が確認された」という報道に変わっています。

 文化庁では毎年言葉の意識調査を行っており、令和3年の調査によると、「がぜん」は「とても、断然」、「破天荒」は「豪快で大胆な様子」と思う人が約70%います。しかし、本来の意味は「がぜん」は「急に、突然」、「破天荒」は「だれも成しえなかったことをすること」という意味になります。つまり、本来の意味で使っている人は少数者になり、コミュニケーションという観点から言えば、本来ではない意味での使用のほうが意思疎通を図れる使い方になるわけです。

 以前に趣味のパラグライダーで大けがをし、病院に運ばれ、入院したことがあります。その時に、病院関係者から「自業自得だからしょうがないね」と言われ、あまりよい気持ちがしませんでした。それは、「自業自得」の本来の意味は「自分がした悪い行為の報いを受けること」だからです。趣味でパラグライダーをしていたことは悪いことだったのかと考え込んでしまいました。おそらくその人の言語感覚では、自分でやったことの結果を自分が受けるという意味で使ったのではないかと思います。「自業自得」と似ている言葉に「因果応報」があります。こちらは、自分のしたことに対しての報いを受けることであり、悪いことにもいいことにも使われます。もしかしたら、この病院関係者は「因果応報」の意味で使ったのかもしれません。次回の文化庁の世論調査ではぜひこの「自業自得」の言語意識を調べてほしいものです。

人生で一番幸せな時間(2022年4月21日)

 2020年3月に20年間お世話になった静岡大学を定年退職しました。退職してから2年が経ち、新しい生活にもすっかり慣れ、落ち着いた日々を過ごしています。退職したのが65歳で、現在は67歳になりました。人生の終着駅がそろそろ見え始めていますが、時々質問を受けることがあります。人生を振り返ってみて、戻れるものならいつの時代に戻ってみたいか。

 受験に追われながらもクラブ活動が楽しかった高校時代、自由な時間を満喫していた大学時代、大学卒業後の刺激あふれる海外生活時代(ブラジル、アメリカ、オーストラリア)、初めての教員生活をスタートした短期大学時代、静岡大学での充実した教育研究時代、いろいろと思いを巡らせてみました。

 このように書くと、なんて幸せな人生だったんだろうと思われるかもしれませんが、もちろん挫折や悲しい出来事は何度となく経験してきました。しかし、ここではあえて書きません。嫌な思い出はすべて忘れてしまいました。

 確かにどの時代も楽しく、充実していた時代だったと思います。若さも体力も気力もすべてが現在よりもたくさんあった時代です。しかし、どの時代に戻りたいかと言われたら、今が一番いいと思ってしまいます。

 なぜなんだろうと考えてみました。どうして昔に戻りたくないのだろうか。いろいろ考えているうちに次のような理由ではないかと思いました。

1)自由な時間

 おそらく定年退職後に一番感じるのがこれだと思います。私は長い間大学教員でしたので、定時に出社して定時に帰るという会社員生活ではありませんでしたが、それでも時間の制約はありました。特に静岡大学に移ってからは往復4時間の通勤時間があり、とても忙しかったのが思い出されます。当たり前ですが毎日目覚まし時計で目を覚まし、時間に追われる生活でした。今はそのような生活から解放されました。

2)好きなことだけをする

 やりたくない仕事をしなくてもよくなりました。嫌な人間関係も続ける必要がなくなりました。長い会議や長い通勤時間から解放されました。今は自分の選んだ仕事だけをすることができます。時間があふれているので、好きな趣味を思いっきりできます。ストレスがほとんどなくなりました。

3)人生の経験と叡智がある

 年を取って経験を積んだ結果、これまでの自分の中で一番的確で妥当な判断ができる自分がいます。67年間の叡智が現在の私を支えています。昔だったら見えなかったことも、見えるようになり、視野の広い自分を感じることができるようになりました。

4)家族を養わなくてもいい

 子どもが独立をし、家族を養う必要がなくなりました。家族の世話をする必要がなくなりました。一家の大黒柱としての責任感から解放されたのです。金銭的にも精神的にも大きなストレスを感じることがなくなりました。

5)健康である

 健康面であまり不安なことがありません。40才の時に突発性難聴にかかり、左耳の聞こえが悪いですが、特に普段の生活で支障になることはありません。それから、血圧も少し高めですが、年齢とともに血圧は上がるものと言われているので、それほど気にはしていません。年に一度の健康診断の血液検査でもすべてが正常値にあります。体で痛いところもなく、趣味のテニスを思いっきり楽しんでいます。

 それぞれの時代を振り返ると、ある目標に向かって一生懸命に生きていて、充実はしていましたが、今から思うと大変だったなあと思います。現在の私はその結果の上にいます。もうがんばらなくてもいいのです。目標を達成する必要はありません。ある意味、その時々の私の目標は小さいながらも達成されたと思っています。今さら目標を達成しようと頑張っている時にあえて戻りたいとは思いません。今だから達成感のある心地よい時間を過ごすことができているわけです。

 私の仕事は研究や教育なので、定年退職しても、まったく仕事がなくなるわけではありません。仕事は自分で調整しながらすることができます。自分にとって快適な割合で、余暇とともに仕事を楽しみの1つとしてとらえることができます。定年退職を人生の終わりと考える人も多いかもしれませんが、実際は、心地よい人生のご褒美の時間だと私は感じています。

加害者としての戦争を忘れた日本(2022年3月24日)

 ロシアがウクライナに侵攻してちょうと1ケ月が経ちました。数日で首都キーウは陥落し、ウクライナはあっというまにロシア軍に占領されるだろうという予想は大きく外れました。連日メディアに流れる生々しウクライナ市民の様子や戦闘シーンは世界中の人々に深い悲しみと強い憤りを与えています。歴史上このような戦争を見たことがあったでしょうか。SNSで発信されるリアルタイムの映像を世界中の人々がまるで映画を見るかのように、眺めているのです。美しかった市街地が砲撃によって破壊され、多くの市民が逃げまどい、死んでいる。そして、世界中の国々がロシアを非難している。しかし、誰も独裁者プーチンを止めることができないのです。

 私は世界中から来る留学生に日本語や日本文化を教えてきました。日本語が上手になってほしい、日本のことを好きになってほしい、日本と母国との懸け橋になってほしい、そんな気持ちで学生には接してきました。世界中の学生と交流できる日本語教師はまさに国際交流の花形であると、誇らしげな気持ちでいました。しかし、今はちょっと違う感覚が生まれています。

 ロシアのウクライナ侵攻を見た時、まっさきに頭に浮かんだのは私が教えたことのあるウクライナ人女性の顔でした。彼女は今どうしているんだろう、たしかキーウ出身だったので、キーウにとどまっているのだろうか、隣国に避難することができたのだろうか。世界中の学生に教えている私は、どこかで紛争が起きると、その国の学生の顔が頭をよぎるのです。アラブの春では、エジプト人男性が(彼はその後アメリカに移住したのを確認しました)、スーダンの内戦ではスーダン人夫婦が、ミャンマーのクーデターではミャンマーの複数の学生が、何人も思い出されました。他国の悲劇が自分とのかかわりの中で感じられるようになっているのです。どこの国も平和であれば、このような悲しい不安な気持ちになりません。しかし、多くの国で紛争が絶えなく、それが多くの日本語教師の心に影を落としているのです。

 昨夜、ウクライナのゼレンスキー大統領の演説が日本の国会で行われました。爆撃を受けながら、暗殺の危機に瀕しながら、大統領は果敢に西側の国々にオンラインで訴えています。日本の支援に感謝を示しつつ、原発攻撃による放射能の汚染や壊滅的な破壊からの復興への協力を呼びかけていたのが印象的でした。大統領の演説からは戦争に必ず勝って国を復興させるという強い意志を感じとることができました。山東議長は、演説後のゼレンスキー大統領に対して「ウクライナ人の勇気に感動しております。わが国とウクライナは常に心は一つです」と応えました。

 多くの日本人はロシアの蛮行に怒りを感じ、ウクライナ市民の現状に同情と深い悲しみを感じています。原爆投下の可能性もちらつかせるプーチン大統領に世界で唯一の被爆国である日本として、断じてそのような暴挙は許してはいけないという意見もマスコミを賑わせています。戦時中のアメリカ空軍の爆撃に逃げまどった経験とウクライナの現状を重ね合わせて悲憤を訴える日本人も多くいます。

 そんな大多数の日本人の態度に私は少し違和感を持ちます。なぜなら、ロシア軍の蛮行と同じことを過去に日本もしていたのではないでしょうか。隣人である中国に侵攻し、満州国を作り、自作自演で侵略する理由をでっちあげ、何の罪もない多くの民間人を殺したのはまぎれもない事実です。ロシアが今やっていることとまったく同じことをやっていたのです。私たちは戦争による被害者という事実より、加害者であった事実にもっと目を向けるべきではないでしょうか。残念ながら、この点を取り上げているマスコミ報道はほとんど見たことがありません。

 ロシアが世界から孤立し、破滅の道に突き進んでいるのはまさに戦前の日本と同じです。大きく違うのは、ロシアの破滅=世界の破滅となることです。日本は、歴史を振り返り、当時の日本の状況を思い起こせば、どのようにしたらこの危機から世界を救えるのか、加害者の視点から有益な知恵を出すことができるかもしれません。私は左翼思想家ではありませんが、あまりに加害者であったことを忘れている現状に危機感を持たざるをえないのです。

やさしい日本語(2022年2月13日)

 昨日の静岡新聞の社説に「やさしい日本語」が取り上げられていました。「やさしい日本語」とは文字通り、やさしくてわかりやすい日本語です。日本語がよくできない外国人でも理解できるような日本語という意味です。外国人居住者が多い自治体では、多言語による情報発信を進めてきましたが、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語、タガログ語、インドネシア語、ベトナム語など、多言語が増えるにしたがって、その負担やコストが問題となってきています。

 一方で、日本語がペラペラでなくても、簡単な会話であれば理解できる外国人が多くいます。静岡県の調査によると、英語ができる外国人は2割程度ですが、「やさしい日本語」であれば6割の外国人が理解できるそうです。このことから、静岡県では「やさしい日本語」の手引きを作り、その普及に努めています。

 一般の人にとって「やさしい日本語」を使うのはそれほど簡単ではありません。大学の教員に日本語中級レベルの留学生に話をしてもらう機会がありましたが、事前に日本語は上級ではないのでできるだけわかりやすく話してくださいと念を押しても、難しい言葉がポンポンと出てきます。一般の人にとって、どのような言葉が難しくて、どのように話したらいいのか、ピンとこないのですね。一般的には日本語能力試験N4~N5(旧試験の3~4級)程度の語彙と言われ、日本語学習者の初級から中級程度のレベルになります。

 毎日のように留学生に日本語を教える日本語教師は自然に「やさしい日本語」が身についています。私も外国人と話をするときは、相手のレベルに合わせて、自然に日本語のレベルを調整しています。学習者にとって日本語の先生の話す内容が理解しやすいのはそのためです。英語の先生の話は理解できるのに、普通のネイティブスピーカーの話はよくわからないということをよく聞きますが、これも、英語の先生が「やさしい英語」を話してくれているからです。

 私がアメリカに語学留学した時、最初にできた友人はセント・ポールという宣教学校で学ぶ黒人アメリカ人でした。彼の英語はわかりやすく、彼との日常会話に困ることはありませんでした。ある日、彼が宣教学校に連れて行ってくれ、アメリカ人の友人を紹介してくれた時のことです。彼の友人の質問がよくわからないでいると、すかさずポールが言い直してくれて、理解することができました。そんなことが何回かあると、その友人は不思議な顔で、同じことを言っているのに、なぜ俺の英語は理解できなくて、ポールの英語はわかるんだろうと、驚いていました。今から思うと、ポールの英語は「やさしい英語」だったんですね。留学生の友人が多くいたポールは自然に「やさしい英語」が身についていたのだと思います。

 小学校低学年で教える教員も「やさしい日本語」は身についています。子どもたちのわかる語彙や表現でないと子どもが理解できないからです。しかし、外国人に対する「やさしい日本語」とは少し異なっています。それは、異文化を考える必要がないからです。私たちのコミュニケーションでは誰もが知っていることを前提に話をしています。しかし、外国人には知らないことが多くあり、時として誤解が生じるからです。遠足の持ち物に水筒とあったため、空の水筒だけを持っていき、その児童だけ飲み水がなくて困ったという事例はその最たるものです。

 多くの人が「やさしい日本語」を身につければ、外国人にとってもっと暮らしやすい社会になるでしょう。これからの多文化共生社会を考える時、あまり大きなことは考えなくても、外国人に配慮する日本語が使えるようになることが、私たちにできる第一歩となるのかもしれません。まずは身の回りのできることから始める、それが積み重なることで多文化共生社会へとつながっていくのではないでしょうか。

「ざんまい先生」の思い出(2022年1月11日)

 昨日は「成人の日」でした。日本中の各地で成人式が行われましたが、沖縄や広島、山口などのコロナ感染が拡大している地域では中止や延期が相次いだようです。それでも多くの地域では開催され、色とりどりの晴れ着を着た女性の姿が成人式に彩を添えていました。

 私が成人式の時はと、ふと昔を思い返しました。帰省しないで、仲の良い男の友人と二人で寂しく東京の明治神宮を参拝したのを覚えています。その頃は今のように成人式が大々的に取り上げられることは少なく、私も帰省してまで出席するという感じではなかったように思います。

 成人になる若者からは「社会人としての自覚を持って」「自分の言動に責任を持てる大人に」「社会に貢献できるような人材に」「チャレンジ精神を忘れずに」といった素晴らしい抱負が聞かれます。私はどうだっただろうかと考えてみると、「これで悪いことをしたら名前が新聞に載るんだろうな」と友達と言い合っていたことを思い出しました。それ以外には特に思い出すことはありません。

 大人になったという自覚もなく、これといった抱負もなく、何がしたいという将来の目標もなく、そこにはなんとなく学生時代を過ごしていた自分がいます。しかし、たった一つだけ言えることがあります。それは、好きなことは思いっきりやっていた、ということです。

 大学時代はマジックサークルに所属し、勉強そっちのけで、朝からマジックの練習ばかりやっていました。大学の授業の合間には部室に行き、時間があれば近くの喫茶店でマジック談義、年に2回の学園祭のマジックショーや秋の定例マジックショーの準備・練習から、デパートやおもちゃ屋のマジック即売販売員、プロのマジシャンの助手のアルバイトなど、忙しい毎日が続いていました。

 しかし、今ではそんな一見無駄だと思える時間が現在の私を支えていると思えるようになりました。高校時代、根津修蔵という名物校長先生がいました。この校長先生の話の中に決まって出てくる言葉がありました。それは、「~三昧」という言葉です。あまりにしょっちゅう言うので、私たちは陰で、また「~ざんまいだ」「ざんまい先生だ」などと陰口をたたいていました。根津先生は夏休みの前や春休みの前の訓示で決まって、「なんでも好きなことに熱中しなさい。読書三昧、サッカー三昧、勉強三昧、ギター三昧、遊び三昧、なんでもいいんです。没頭できるものを見つけてやりなさい。」そんな話だったと思います。

 最近は中学生や高校生に将来の自分の目標を設定させるキャリア教育が盛んです。そのためには体験学習や職場見学が重要だと言われています。自分の将来の夢を具現化するためのプラン作りも行われています。以前海外留学に行く大学生の壮行会の挨拶で、自分のやりたいことが見つかっている人は手を挙げてくださいと聞いたところ、手を挙げたのは2割程度の学生でした。中学校からキャリア教育をやっているにも関わらず8割の人は将来自分が何をやりたいのかわからないでいるのです。

 私もまったく同じでした。大学卒業時に自分は何をしたいのか、何をすればいいのか、まったくわかりませんでした。就職しないでブラジルに行ったのも、やりたいことを見つける自分探しの旅だったのかもしれません。でも、今なら、私も根津先生の言われた「なんとか三昧」を心から勧めたいです。無理をして夢を探さなくてもいい、今自分がやりたいことをやりなさい、と。

 考えてみれば、ブラジルに行ったのも、海外に行ってみたいという強いあこがれがあったからです。その後、英語を勉強したいとアメリカに行きました。さらに、オーストラリアに留学したいと思い、奨学金を獲得しました。自分のやりたいことをやっているうちに、少しずつ夢が現実化し、結果として大学の教員になったのです。好きな言語を研究しながら、世界中から来る留学生に日本語を教える、そんな私にとって夢のような生活が現実となったのです。

 大学を卒業しても就職しない私を黙って見守っていた父の懐の深さには感謝の気持ちしかありません。私は本当にラッキーでした。高校時代に何も感じなかった「なんとか三昧」。でも、今の若い人には心から伝えていきたいです。

無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)(2021年12月26日)

 2021年も残すところ1週間となりました。今年は、流行語大賞の「リアル二刀流/ショータイム」に象徴されるようにスポーツの話題あふれる1年だったと思います。57年ぶりに東京で開催された夏のオリンピックでは、金メダル25個を含む58個のメダルを獲得しました。パラリンピックでも金メダル13個を含む51個のメダル獲得という大活躍でした。コロナ渦での無観客の試合でしたが、テレビやSNS、動画配信などを通して、多くの国民がスポーツに熱狂し、感動した1年ではなかったでしょうか。

 流行語大賞のトップ10にも、オリンピックに関連するものが多く含まれていました。ジェンダー平等、ゴン攻め/ビッタビタ、スギムライジング、ぼったくり男爵など、記憶にまだ新しいものばかりです。私は個人的には、ジェンダー平等に深く考えさせられました。

 ジェンダー平等はすべての人が性別にかかわらず平等な機会と権利を持ち得ることを意味し、国連が採択したSDGS(持続可能な開発目標)の17目標の1つになっています。この言葉が注目を浴びたきっかけが、森喜朗JOC前会長の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という発言でした。さらに演出統括者の佐々木氏によるブタ発言、作曲家小山田氏による過去のいじめ問題、絵本作家ののぶみさんの不適切発言、ショーディレクター小林氏によるホロコーストのコント事件など、次から次へと不祥事は止まらず、呪われたオリンピックとまで言われました。

 私はこうした一連の騒動を見ながら、日本社会における無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)を改めて感じざるを得ませんでした。私は若いころに海外生活が長く、大学卒業から32才までの間、ブラジル、アメリカ、オーストラリアで過ごしました。日本に帰国してからいつも感じていたのが、この日本人のアンコンシャス・バイアスです。テレビでコメディアンが中国人や欧米人の癖のある日本語をまねたり、顔を黒く塗って黒人を、高い鼻をつけて白人の真似をしたりするのを見て、いつも不快な感じを受けていました。外国で同じようなことをやったらきっと大問題になるだろうなと思っていました。

 つまるところ、発想がこの国は日本人しかいないと思っているわけです。放送においても日本人による日本人のための日本人だけの番組と無意識に思っているところが、こうしたバイアスを助長しています。多文化共生やダイバーシティなどの言葉が盛んに使われるようになりましたが、自分のこととしてそれを感じ取っている日本人はまだまだ少ないのではないでしょうか。

 私は国立大学で20年間教鞭を取ってきました。初めて所属長の代理で評議会に出席した時の驚きを今でも覚えています。そこには女性が一人もいなかったのです。今では何人かの女性が評議会のメンバーになっていますが、その当時、国際化、ジェンダー平等を声高々に訴えていた大学においてさえ、この有様ですから、世間一般の意識は推して知るべしです。

 今回の不祥事は単なる氷山の一角です。日本社会に広く蔓延しているバイアスです。たまたまオリンピックが開催され、世界の注目がJOC関係者の発言に向いていたために大きな騒動となりましたが、このような考えは私たちの周りにはたくさん潜んでいます。たとえば、日本に住む外国人が確定申告をしたところ、名前が長すぎてデータ入力ができなかったり、黒人のハーフの子どもが学校で三つ編みができなかったり(黒人の人の髪の毛は三つ編みしないと爆発したような頭になってしまう)、書式の中には名前の書き方が姓と名となっていて、ミドルネームを書くスペースがなかったりとか、日本人のための日本人だけの規則はそこら中にあふれています。

 果たしていつになったら、日本人の意識は変わるのでしょうか。そのためにも私はこれからも「異文化理解」の講義やワークショップを続けていきます。でも、そんな私にもアンコンシャス・バイアスはあるかもしれません。絶えず、自問自答をしながら生きていく、そんな姿勢が私たちには求められているのではないかと私は考えています。

気に入っているのに売れない本(2021年11月3日)

 私がこれまでに出版した単著は5冊ありますが、どの本も私にとっては思い入れの強い本ばかりです。しかし、その中で特別に感じる一冊があります。それは、明石書店から刊行した『多文化共生のための異文化コミュニケーション』です。この本は、異文化コミュニケーションのエッセンスをエッセイ風にまとめ、私や私の講義を受けた受講生さんの体験談をふんだんに紹介した実用書です。これまでに出版した学術的な内容の作品と比べ、身近な話題にあふれる作品で、異文化コミュニケーションを生活の中で実践的に活用するための本として、まとめました。

 このような実践的な内容は以前から書きたいと思っていて、頭の中には様々な体験談があふれていたので、ペンを執るとあっという間に書き上げることができました。学術的な本と比べて読みやすいし、啓発的な内容でもあり、出版社に持ち込めば、きっと簡単に出版できるだろうと期待していました。

 ところが、どこの出版社に原稿を送っても、まったく色よい返事がありません。懇意の編集者に理由を聞いてもはっきりと答えてくれません。6~7社に打診しましたが、結局、出版はまったく進みませんでした。これまではすぐに出版が決まりましたので、かなり焦りました。最後に多文化共生に関係する書籍を数多く出版している明石書店に原稿を送ったところ、前向きに検討したいという返事をいただき、東京にある会社に直接出向き、打ち合わせをすることになりました。

 編集者からは部数はあまり見込めないので、大学等で使用する予定があるかどうか、聞かれました。大学で使ったとしても数十冊ぐらいで、はっきりと約束することはできないと答えました。編集者からは印税は払えないが、それでもいいかと打診され、とにかく本になるのであればと思い、承諾しました。ただし、増刷する場合は、そこから印税が発生することを約束していただきました。

 私にとって、印税は二の次で、とにかく自分の書いた作品を世に出したいという気持ちのほうが強かったと思います。初版は1000部と、これまでに出版した書籍の中では一番少なく、何とか重版までこぎつけたものの、売れ行きは未だにぱっとしていません。私はこれまでの作品の中で一番読みやすく、読者にも興味がある内容だと思うのですが、現実は私の思いとはまったく逆で、やはり編集者の目は正しく、私の考えは世間の常識とは、ずれているのではないかと、もやもやした気持ちは晴れませんでした。

 ところが、です。私の著作で一番売れていないこの本に、様々な方面から問い合わせが一番多く来るのです。最初に来たのは大手予備校からで、著作の一部を高校の模試の問題に使いたいというものでした。その後、韓国の出版社から韓国語で出版したい、さらに、関西の大学からは入試問題で使いたいという依頼が来ました。これは私の予想外で、私も大学の入試問題を作成する立場の人間でもありましたので、この依頼にはかなり驚きました。今年になっても大学受験の大手通信教育会社から教材への使用許諾のお願いが来ています。

 さらにさらに、驚くことがありました。昨年から今年にかけて、高校の教科書を作っている大手の出版社2社から、高校の現代国語の教科書に私の作品を掲載したいという申し出が続けてあったのです。私は高校時代、国語が苦手で、文章読解力があまりありませんでした。そんな私の文章が国語の教科書に載るなんて、それも2冊なんて、考えられないほど驚きました。来年度の高校の教科書に私の作品が掲載され、多くの生徒がそれを読んで勉強するのを想像するだけで、不思議な感覚に陥ります。

 私が一番伝えたい内容で、一番のお気に入りの作品なのに、売れ行きはぱっとしません。しかし、一番問い合わせが多く、様々な教育機関で使われている、なんて不思議な本だと思いませんか。

本を出版するには(その5)(2021年9月20日)

出版が決まると、出版契約書を結びます。私はこれで最近大失敗しました。単著に関しては、これまでに印税率は確認しましたが、それ以外の細かい契約書の内容はほとんど読んでいませんでした。いずれの出版社もしっかりとした会社で、編集者も信頼できる人でしたので、特に何も考えることもなく、出版契約に印鑑を押していたのです。

 ところが、数年前にある大手の資格取得のキャリアスクールから検定対策本の「文法」の記述の依頼を受けました。この本は、検定試験を受ける人の間では「赤本」と呼ばれる有名な本で、試験会場に行けば誰もが持っていると言われるほど、人気のある対策本です。本を改訂する(第4版)ので、文法の部分を担当してほしい、改定前の部分を活用してもいいと言われました。この本の文法の記述については、わかりづらいところが多いと感じていたので、私自身でわかりやすく書き直すことができるならと思い、喜んで引き受けることにしました。

 しばらくすると、担当編集者が私の研究室を訪問しました。この方は対策本を担当する編集者で、キャリアスクールから委託された出版社に所属するということでした。通常は出版会社と契約を結ぶのですが、今回は、実際に編集作業をする会社と、契約する会社が異なっているという変則的な形態となりました。ただ、仕事をする上では何の支障もなく(と私は思っていました)、記述の改訂ではなく、すべての記述を書き直すという作業を行いました。日本語教師をめざす多くの人が目にする対策本です。これまでの教育経験を結集し、オリジナルな説明でわかりやすい記述を完成させました。おかげさまで文法に関する評判も良く、この対策本はベストセラーとして売れ続けました。

 問題が起きたのは、第5版の改訂を行うという連絡を受けた時です。実はキャリアスクールの会社と出版契約を結ぶとき、出版契約書は業務委託契約書となっていて、委託料は初版第1刷の印税を執筆者全員で按分し、増刷以降の印税はキャリアスクールのものとするというものでした。まあ、そういうやり方もあるのかなあと思い、あまり考えずに契約書に判を押しました。第5版の改訂では当然のことながら、私が修正するものと考えていましたが、編集担当者から、今回はキャリアスクールのeラーニングのシラバスに沿う形で改訂を行うため、申し訳ないが、別の先生に担当してもらうことになった。その際、第4版に記載されている内容をそのまま使用することもあるかもしれないことを了承してくれないか、というメールがありました。

 私は自分が改定するものとばかり思っていましたので、驚きましたが、キャリアスクールのeラーニングのシラバスは私の考えとは異なるものでしたので、それならしかたがないと思いました。ただし、私のオリジナルな記述、文法説明、文法内容については申し訳ないが使用しないように、キャリアスクールの方針に沿った新しい文法解説を楽しみにしているという旨の返信をしました。編集者からは承知しましたというメールが届きました。

 ところが、第5版が出て、その文法の内容を見て、愕然としました。他の方が著者となり、私の記述内容がほぼそのまま使われていて、ところどころ、修正されてはいますが、7割以上が以前のままで記載されていたのです。あんなに苦労して作った表も、わかりやすいオリジナルな図表も、文法項目の順番まで、さらには参考文献までがまったく同じで、どこがキャリアスクールのeラーニングのシラバスに沿った文法解説なのか、理解することができませんでした。ほとんど同じなら、他の人に代わる必要はまったくなかったわけです。なぜこのような理不尽な扱いをするのか、強い憤りを感じざるを得ませんでした。

 私はすぐに委託契約書を確認しました。そこで、その内容に驚嘆したのです。その契約書の中で私は私の著作に関する所有権ならびに著作者人格権まで放棄していたのです。つまり、委託料が支払われた時点で、私の著作は私のものではなく、キャリアスクールのものになり、それをどうしようと、キャリアスクールが勝手に変更することができるという内容だったのです。

 私は編集担当者にメールを送り、自分のオリジナルの内容が他の人の著作となっていることに遺憾の気持ちを伝え、お金はいらないが、自分も共同の著者としてせめて名前だけでも掲載してほしいと頼みました。自分の著作内容が他人の著作になっていることに、日本語教育の専門家として我慢ができなかったからです。残念ながらこの提案は受け入れられませんでした。本の片隅に、執筆協力者の一人として私の名前が掲載されているのみです。

 結局は、契約書の内容をよく読まずに判を押した私にすべての責任はあるのですが、文筆業に関わる人間の命ともいえるオリジナリティを軽視し、信義よりも営利を一番の目的とするこのキャリアスクールの本性が見えた気がします。今後は、契約書はよく読み、二度とこのような失敗をしないことを肝に銘じました。

本を出版するには(その4)(2021年9月01日)

 私の最初の著作はすぐに出版が決まりました。そして、2冊目は、対象を一般の人向けにしたため、影響力のある大手の出版社から出してみたいと思いました。とはいえ、メジャーな出版社に誰か知り合いの編集者がいるわけではありません。では、どうしたかというと、知り合いの言語学者の先生が有名な出版社から日本語に関する本を出版されていて、その本の編集者なら日本語に興味があるのではと思い、その編集者あてに原稿を送ることにしたのです。どうやってその編集者を特定したかというと、一般的に本のあとがきには編集を担当した方への感謝の気持ちが書かれています。そこから、編集者の名前を知ることができたのです。

 もちろん出版社の編集部に直接原稿を送ることは可能です。しかし、その場合、誰が見るのかわかりません。出版社には多くの売込み原稿が持ち込まれるため、興味がなければほとんど読まれずに放置されるのが関の山です。それを避けるためには、興味のありそうな編集者を特定して、その人あてに送るのが一番読まれる確率が高くなると思ったのです。良心的な編集者であれば、必ず何らかの返信をしてくれます。私の場合、その編集者からメールで連絡があり、「説得的だと感じた」という感想とともに、単行本では類似の書籍を刊行予定なので、新書で出したらどうかという提案をいただきました。

 提案を受けるまでは、新書で出版するという考えはまったくなく、というより、単行本と新書の違いすらよく知らなかったぐらいです。せっかく、大手で出版できるチャンスでしたので、紹介してくれた新書の担当者に、残りの原稿をすべて送り、新書での出版が決まりました。これが、『日本人のための日本語文法入門』です。

 この2冊は最初に打診した出版社から出版できたラッキーな例ですが、すべての本がこのように順調に出版できたわけではありません。数社から多いもので7~8社に打診して、やっと決まったものもあります。ですので、出版社に断られても、あきらめないことが重要です。出版社に原稿を送る方法として、私は一度にたくさんの出版社に原稿を送るということはやりませんでした。その出版社のことをよく調べ、心を込めて原稿を送り、編集者からの返事を待ち、だめなら次の出版社を探すということを繰り返しました。これは私の出版社へのちょっとした信義です。編集者によっては内容に対するコメントを書いてくれる場合がありますので、足りないところを改善することで、次の出版社に採用されたものもあります。

 出版社に自分の原稿を送る時に注意しなければならない点として、原稿は全体の一部だけにするということがあります。全部送っても忙しい編集者が読んでくれる保証はありません。そのためには、時間をかけなくても、本の内容や特徴がわかるような工夫をする必要があります。私の場合、面白そうな章を1章だけ、それと全体がわかる目次の部分、さらに、企画書も添付しました。企画書には、対象読者層、ねらい、概要、特徴、類書との比較などを盛り込みます。出版社で本の企画が認められるためには、編集会議に企画書を提出しなければなりません。したがって、編集者にとっても企画書があることで、送った原稿の内容が簡単に把握でき、それに基づいて企画会議に提案しやすくなるのです。(次回に続く)

本を出版するには(その3)(2021年8月1日)

 最終原稿を出版社に提出する頃に決めなければならないことがあります。それは、本の大きさや書式やレイアウトの決定です。普通の本はA5サイズですが、私は少し大きいB5サイズにしました。テキストとして使うことを想定していたので、大きめのサイズを選びました。フォントの大きさや行数や文字数を確定したあと、レイアウトを決めます。私の場合は、いくつかレイアウトの案を提案していただき、その中から決めました。

 初稿原稿を提出すると、編集者が修正箇所などを赤で直した初校が戻ってきます。それを修正して提出すると、また、赤で修正が入った二校が戻り、最終的には、三校で校了となります。実際は、四校、五校もありますが、これらの校正は編集者が最終チェックで行います。

 校正が進んでくると、最後の難関である、タイトル名と本の表紙のデザインを決めるという作業をしなければなりません。筆者の思い入れと編集者の考えが異なることがあり、なかなか両者が納得するようなタイトルに収めるのは大変でした。私の場合は本の内容から、「考えて、解いて、学ぶ日本語教育の文法」に最終的に決まりました。表紙のデザインもシンプルなものがよかったので、私の希望を伝えて、デザイナーの方にいくつかデザイン案を出していただき、最終的に私が決めました。そして、本が出来上がるのは、2~3か月後、ワクワクしながら待っていたのを覚えています。

 私がよく一般の方や友人から聞かれるのは、印税です。私の場合は本の定価の8%から10%です。最初の発行部数は3,000部前後というのが一般的だと思います。本によっては1,500部というのもありました。仮に定価2,000円の本で、発行部数が3,000部、印税が8%とすると48万円ということになります。この48万円をすぐにもらえるかというと、これは出版社によって様々です。多くの出版社では、売れた部数だけの印税を払う契約なので、年度ごとに売れた部数の印税が支払われることになります。誰もが名前を知っている大手の出版社では発行部数の印税を売れようが売れまいが先払いしてくれます。この出版社の新書では、初版が11,000部でした。新書は一般向け、さらに日本中の書店の店頭に並び、宣伝や広告もされます。値段も安く、通常の書籍とは違い、売れる部数が圧倒的に多いからだと思います。

 これらの初版が売り切れそうになると、増刷されます。部数は初版より少なく2000~3000部が一般的のようです。私の出版した本はおかげさまで毎年のように増刷され、3冊の本が10刷りを超え、残りの2冊も何回か増刷されています。とはいえ、本を出せば印税がたくさん入ってくるというのは夢のような話で、そのような書籍はベストセラーなどに限られ、通常の書籍では増刷されればいいほうで、ほとんどの書籍は増刷されないという現実があります。一説によれば、増刷率は15%だそうです。それくらい、本が売れ続けるというのは難しいということになります。

 私の書籍の場合、大学の教科書として採用されたり、日本語教育関係者や異文化理解に関心のある人が買ってくれたりしていて、現在でも売れ続けています。基本的には読みやすい、わかりやすいということを多くの読者からお聞きします。購入した人の口コミやツイッターで評判が広がり、増刷につながっているようです。(次回に続く)

本を出版するには(その2)(2021年7月13日)

 オリジナリティに富み、一定の読者層に魅力的な作品ができあがったら、何とか出版したいと思うのが普通です。私は、長い間日本語教師を目指す人のために文法教育を行っていて、試行錯誤を繰り返しながら、オリジナルのテキストの完成を目指しました。テキストが完成するまでには10年を要しました。私は授業を行う場合、市販のテキストはあまり使いません。最初のころはよく使っていたのですが、だんだん、テキストの内容に満足できなくなり、工夫しながら自分のオリジナルの授業を行うようになりました。それを冊子化し、講座の終わるたびに、受講者のアンケートを取り、何度も何度も修正しながら、内容を推敲していったのです。

 私の最初の著書『考えて、解いて、学ぶ 日本語教育の文法』は日本語教師を目指す人のための文法書ですが、原案がほぼ完成すると、授業以外でも使ってみることにしました。私が勤めていた静岡大学の公開講座で、日本語文法を教えることになり、同僚にも試案テキストを使ってもらい、5回の講座を開講することにしたのです。そして、同僚からのアドバイスとともに一般参加者の肯定的なアンケート結果から、このテキストの有用性を実感し、出版への確かな手ごたえを感じ取るようになりました。

 これらのことから、いよいよ、どうしたら出版できるのか、考えるようになりました。日本語教育関係の大手出版社は、スリーエーネットワーク、アルク、凡人社の3社です。この3社の中から『みんなの日本語』で有名なスリーエーネットワークを選び、編集者に原稿を送ることにしました。返事はすぐにありました。「前向きに検討したい、直接話がしたいので先生の研究室に伺いたい」というものでした。第一編集部長(その当時)のSさんが私の研究室に来られたのはそれからすぐのことでした。Sさんが開口一番「なぜ弊社を選んだのか」という質問をしたのが今でも鮮明に思い出されます。確か、日本語教育関係の本の中で、スリーエーネットワークさんが一番しっかりとした本を出版しているから、というふうにお答えしたように思います。Sさんからは、このような文法書はこれまでに出版されていない、類書がない、非常にわかりやすいなどの言葉をいただいたことを覚えています。それからは、とんとん拍子に話が進み、スリーエーネットワークから出版することが決定しました。

 改めて出版原稿を作成するにあたり、私が教えていた民間の日本語教師養成講座の受講生に意見を求めました。その中で一番多くあった意見はイラストをもっと入れてほしいというものでした。それまでも少しはイラストを入れていましたが、それほど多くはありませんでした。一般の人にとってイラストがあることで、文法という難しさが軽減され、興味深く読むことができるようになるようです。私はできるだけ多くのイラストを文法書の中に入れることにしました。実際に出版する際には、どなたかイラストレーターにお願いしなければなりません。Sさんからはいくつかの候補を提案されましたが、どれも私にはピンとくるものではありませんでした。ネットで探したところ目に留まったのがわたなべふみさんのかわいらしいイラストでした。私の希望をSさんに伝えると、出版社から直接わたなべふみさんに連絡してくれて、契約が成立しました。

 著者の意図するイラストをイラストレーターに描いてもらうには、事前の綿密な打ち合わせが必要です。私も直接わたなべふみさんにお会いし、すべてのイラストの背景を説明し、イラスト作成の下準備を入念に行いました。その結果、テキストの内容に沿うような効果的なイラストを何枚も描いていただき、本の価値を高める重要な一翼を担っていただくことになりました。(次回に続く)

コロナワクチンの接種を完了しました(2021年6月16日)

 出版の話の続きを書こうと思いましたが、コロナワクチンの接種が終わりましたので、その話を先にしたいと思います。このブログを読んでいる人の中にはすでに2回の接種を終えた人もいると思いますが、まだ多くの人は2回の接種は終えていないと思います。私の体験談がお役に立てばと思い、接種した様子をお伝えしたいと思います。

 1回目の接種は5月15日に行いました。私の住んでいる静岡県函南町では75歳以上の接種から始まり、その次に65歳以上の接種が始まりました(私は66歳です)。電話では予約ができなかったので、ネットをつなげると、簡単に予約ができました。接種当日に、町から送られてきた接種券をもって近くの保健センターに行きました。会場で驚いたのは係りの人の多さです。並んでいる列を担当する人が3~4人いました。受付にも2~3人。会場に入って、待合室には7~8人。待合室から接種会場までの誘導の担当の人が3~4人。接種会場の待機場所に2~3人。接種会場には医者と看護師などが6~7人。医者は2人で、男性と女性を分け、それぞれを一人ずつ接種していました。接種が終わってからの待機場所にまた5~6人といった具合です。年配の人が多いというのもその理由でしょうが、こんなに小さい会場にこれだけ多くの人員を配置する必要があるのか、少し疑問に感じました。

 日本は慎重すぎるほど慎重に物事を進めるので、ていねいでいいのですが、外国の人からはスピードが遅いと言われます。コロナワクチン接種率でG7の中でも最低の接種率はそれを物語っているように思います。病院ではなく自治体が中心にやっているというのも理由の一つなんでしょうが、職員の人が大勢かりだされ、大変だなあと感じました。

 接種後の副反応ですが、午後2時に接種し、ほとんど痛みのないまま、夜になると接種した左手の上の部分が痛くなってきました。夜寝るとき、左向きになると少し痛みを感じましたが、特に何の問題もなく熟睡しました。翌日になると、痛みが増し、左手を高く上げると、かなり痛みました。上げなければ、痛くはありません。2日目が一番痛かったようです。3日目になると、痛みはかなり弱まり、4日目にはなくなりました。これが、1回目の副反応です。

 2回目は、ネットの情報などにより、1回目より副反応が強く出るということでしたので、かなり心配していました。また、私はテニスなどのスポーツをいつもやっていて、同年代の人より元気だと自負していますので、体力のある人に反応が強く出るということにも不安を感じていました。で、実際の反応はというと、案の定でした。6月12日の午後5時に接種し、なんとなくけだるい感じがあるものの、特に大きな反応もなく、ちょっとした腕の痛みがあるぐらいで、その日は就寝しました。しかし、翌日は朝から体がだるかったので、熱を測りましたが平熱でした。大丈夫なのかなあと思いつつ、家で出版関係の仕事をしていました。午後になってもだるさが残っているので、熱を測ったところ、37.5度ありました。腕も上げるとかなり痛みました。だるさと気持ち悪さで、午後は横になっている時間が多かったと思います。食欲もあまりなく、とりあえず、うどんを一杯だけ食べました。夜になると、寒気が出はじめ、熱も37.8度まで上がりました。左手を横にして寝ると痛いので、上か右を向いて寝ることにしました。痛みで寝られないということはありませんでした。

 3日目の朝、熱を測ると平熱に戻っていました。左手の痛みもほとんどありませんでした。1回目より、副反応は強かったですが、急速に収まったという印象です。私は解熱剤が嫌いなので、用意しませんでしたが、知り合いの人の中には事前に用意して服用したという人もいました。

 以上が、私のワクチン接種体験談です。これから接種を予定している人は参考にしていただけると嬉しいです。

本を出版するには(2021年6月1日)

 私はこれまでに5冊の単著と3冊の共著を出版しています。以前上司だった先生から、「共著では出版しているが、単著で出版するのは難しい。自分はまだ共著しか出版していないので、単著の出版がないのが大学人として物足りないと思っている」と言われたことがあります。この先生は現在ある大学の学長をするほどの方であり、専門分野においても著名な業績のある先生です。その先生ですら、単著で出版するのは難しいと言っているのです。

 私の知り合いの言語学者も日本の文学作品を太平洋の小さな国の言葉に翻訳して出版しようとしましたが、どの出版社にも断られ、最後の手段として、クラウドファンディングで資金を集めようとしましたが、目標の200万円に対して21万円しか集まらず、出版をあきらめました。

 大学の同僚からも論文を本にしたいと相談を受けたことがあります。学術的な本の出版で有名なところを紹介しましたが、自費出版に近い形でなければ、なかなか出版は難しかったようです。学術書の多くは出版助成を受けるか、自分の研究費や自己資金を使って、出版するのが一般的です。

 若者の活字離れが叫ばれ、今世紀に入ってからも出版不況が続いています。そのような中で、どのように私が5冊の本を単著で出版することができたのか、そして、それらの本がなぜ今でも売れ続けているのか、皆さんにもお伝えしたいと思います。もし、このブログを読んでいる人の中で本の出版を考えている人がいましたら、参考にしていただけたらうれしいです。

 本を出版するには様々な方法があると思いますが、これはあくまで私の出版に関して言えることであり、これが出版のイロハであるかは自信がありません。あくまで、私のこれまでの出版について言えることです。これらのことを踏まえて、読んでいただけたらと思います。

 まず、本の出版で重要なことは「オリジナリティ」「一定の対象読者層」「読者の視点に立つ」「出版するという強い気持ち」の4点に集約されると思います。この4点について、説明していきましょう。

1)オリジナリティ

 当たり前ですが、本を出版するにあたり、オリジナルな内容であることが重要になります。類書がない、または、あったとしても類書より優れている点が多いなど、本のオリジナリティがしっかりと伝わるものでなければ出版社の企画会議を通らないでしょう。

2)一定の対象読者層

 これは、一言でいうと、売れる本であるか、という点です。一定の対象読者層があり、その対象者にとってその本の内容が魅力的であれば、書籍が購入される確立が高くなると想定できます。大学教員の専門の論文を本にしても売れません。いくら内容が画期的ですばらしいものでも対象読者層は研究者に限定されていて、キャパが非常に小さいからです。一部の著名な研究者以外で論文を本にするには出版助成などを受けて自費出版に近い形ではないと難しいです。出版社の利益が出なければ出版社は本を出してはくれません。この点でいうと、研究書よりテキストや教科書のほうが出版できる可能性がグンと高くなります。

3)読者の視点に立つ

 これが簡単そうで一番難しい点かもしれません。私たちは自分がわかるものは他の人もわかると錯覚しています。自分なりにわかりやすく説明したのでこれでわからない人はいないだろうと思ってしまいます。しかし、それは意外と自分よがりの考えであることが多いです。私は長い間一般の社会人を対象に講義を行っていて、できるだけ双方向の発言しやすい雰囲気で受講生さんの声を拾う努力をしてきました。また、講義終了後には必ずアンケートを取り、忌憚のない意見を聞いてきました。そこから多くのことを学びました。自分にとって簡単なことでも一般の方にはそうではないという事実に何度も直面したのです。どうしたら理解してもらえるのか、その工夫の連続でした。したがって、私の書いた書籍はどれもとてもわかりやすいという評価をいただいています。それは、絶えず読者の目線に立つ努力をしているからだと思います。本の内容がわかりやすければ口コミで読者間に広がり、それが売れ続ける原動力になります。私のすべての本が増刷され、最初の3冊の本はすべて10刷りを超えています。それは、読者の視点に立つわかりやすい書き方になっているからだと思います。

4)出版するという強い気持ち 

 この内容を書籍化したいという強い意志が必要です。そのためには、自分として書籍を最高のものに仕上げる必要があります。自分で自信を持てない作品では出版はおぼつかないでしょう。これ以上のものがないと思えるほど考えに考え、工夫を重ねます。もし自分が読者だったら、こうしたい、ああしたいというわがままな要求を作品の中にすべて取り込みます。これはけっこう面倒くさいことです。でもやることで読者にとって魅力ある作品に仕上がります。自分が読者だったら絶対に買いたいと自信をもって言える作品にすることが必要になるのです。

 以上の4点がそろった時点で、初めて出版のスタートラインに立ったと言えるでしょう。それから、どうしたらいいのか。私の場合、出版社の編集者へ直接売り込みを行いました。5冊出した本のすべてが私の売り込みによる出版です。では、どのように出版社に売り込んだのか、それは次回のブログでお話しすることにします。

ホームページを作ってわかったこと(2021年5月1日)

 念願のホームページが完成しました。静岡大学在職中から退職したら必ず作ろうとずっと考えていました。昨年3月に定年退職し、さあ時間ができたから、作ろうと思ったやさきにコロナ拡散の影響で、非常勤の大学の授業がすべてオンライン授業となりました。その結果、同時双方向型授業の準備や各大学の授業管理システムへの対応、講義動画の作成など、オンライン授業に関連する慣れない業務に忙殺され、とてもとてもホームページを作る時間など見つけることができませんでした。 

 授業がすべて終わった今年の2月になって、再びホームページを作ろうという気持ちが強くなりました。新年度から対面授業が再開される大学があり、オンライン授業の大学でも昨年作った講義動画を使うことができることが、私の気持ちを後押ししてくれました。さっそくホームページ作成の入門書を見つけて、作業に取りかかることにしました。プログラミングなどまったくわからない私でしたので、そのような数式を使わなくても誰にでも作ることができるという超初心者用の入門書を購入しました。

 ホームページの作成に取りかかり、私は初めて、ウェブ上に自分の居場所を確保するためにレンタルサーバーを有料で利用しなければならないことを知りました。入門書の紹介にしたがい、「さくらのレンタルサーバー」のスタンダードプラン(月額524円)に申し込みました。これで私のホームページの居場所(https://harasawa-itsuo.sakura.ne.jp)を取得することができました。

 ただ、この居場所には「sakura.ne.jp」が付いていて、あまりかっこうが良くありません。独自の名前を設定することも可能とあり、私は専門が日本語教育であるため、それに関連したものにしようと考えました。いろいろ試したところ、日本語教育に関連したサイト名はほとんど使われていましたが、「nihongo-kyoiku」だけはまだ使われていないようでした。さっそくこの名前で申し込むと、この名前の後に付く、「.com」,「.net」,「.org」,「.ne」,「.jp」,「.ac」 などによって、それぞれ料金が異なることがわかりました。え、まだお金がかかるのかと思いましたが、「.com」が比較的安く、年額で1,886円と手頃な値段だったので、この名前にしました。これで、私のホームページの正式なURL(https://nihongo-kyoiku.com)が決定しました。手数料などを含めて、今年度は8,172円でした。月々にすると681円、まあ、これぐらいはしかたがないでしょう。

 ここから、具体的なホームページの作成が始まりました。コンテンツの内容であるプロフィールや履歴、研究・教育業績、講演などの記録は大学教員であればたいていの人は作成してあります。したがって、あとはどのシステムで作るかということでしたが、入門書では世界で一番使われている「WordPress」という無料のシステムを推奨し、このシステムにしたがってホームページの作り方を説明していたので、私も迷うことなく、「WordPress」をインストールし、ホームページを作成することにしました。

「WordPress」ではホームページの全体像を様々な無料のソフトから選ぶことができます。私は、シンプルなデザインが希望でしたので、機能とデザイン性に優れ、初心者にも扱いやすいとされる「コクーン」のソフトを利用することにしました。その後、多くの試行錯誤がありましたが、なんとか3月末には無事にホームページの形を整えることができました。

 やっとできあがったと喜んで、意気揚々とホームページを公開しましたが、検索にまったくひっかかりません。ホームページ名である「原沢伊都夫研究室」と検索してもどこにも出てきません。これでは、多くの人に見てもらおうとホームページを作った意味がありません。いろいろ調べたところ、ホームページをウェブ上に作っただけでは、網の目のように張り巡らされた検索網の外にぽつんと存在しているだけであることを知りました。ということは、私のサイトにたどり着くためには、直接サイトのURLを入力する以外に方法がないということになります。

 これって、意外と皆さん、知らない事実ですよね。大学や企業、官公庁などの中で作れば、しっかりと検索の網にひっかかりますが、個人で作ると、まさにポツンと一軒家状態なのです。それも、世間とは没交渉の一軒家です。誰も知らないところにひっそりと存在している、そんな感じのホームページなのです。検索エンジンに引っかかるためには、SEO(Search Engine Optimization)対策をとる必要があるそうですが、有償であったり、難しいプログラミングの操作があったりして、超初心者の私にはハードルが高く、何度か挑戦しましたがあきらめてしまいました。しかし、対策を取ったとしても、検索されるようになるまでには3ヶ月から半年はかかるそうなのです。 

私の場合、結局は多くの人に紹介して閲覧を増やしたり、他のホームページにリンクを貼ってもらったりなどして、地道に少しずつ検索されるように待つしか方法はないようです。サイトをオープンして1か月になりましたが、以前は検索されなかったサイト名や「原沢研究室」でもひっかかるようになり、少しずつですが、世間の人に認知されてきているようです。

定年退職しました!(2021年4月1日)

 と言っても、昨年のことです。2020年3月31日に20年間お世話になった静岡大学を定年退職しました。コロナ拡散の中、送別会はすべてキャンセルされ、同僚の教員や関係する教職員に最後の挨拶をすると、ひとりガランとした研究室をあとにしました。しかし、私には寂しい気持ちはまったくありませんでした。それは、4月から引き続き非常勤講師として静岡大学で授業を持つということもありましたが、それよりも、2月10日(月)に私の最終講義があり、私の教え子、同僚、関係者など50名を超える人が集まってくださり、盛大に私の最後の授業を盛り上げてくれたからです。

 講義のタイトルは「私と異文化コミュニケーション」。私のこれまでの人生を異文化コミュニケーションの視点で振りかえるというものでした。高校時代は落語研究部に所属し、自分の高校や他校の学園祭などで落語や大喜利を披露しました。大学時代はマジックサークルの幹事長として、マジックに明け暮れる毎日でした。大学卒業後は、ブラジル、アメリカ、オーストラリアで過ごし、日本に帰国して落ち着いたのは32歳の時でした。結婚をしましたが、妻が長男を生んですぐに胸の病で病死するという不幸がありました。その後、再婚をし、次男、三男に恵まれました。

 37歳の時に御殿場に新設された富士フェニックス短期大学で教員として働くことになりました。私にとって初めての教員生活のスタートでした。ここの大学に骨を埋める覚悟でいましたが、少子高齢化の波が地方の小さな短大に押し寄せるようになり、他大学への転職を考えるようになりました。ちょうどその頃、地元の静岡大学に留学生センターが設置されることになり、日本語教員を公募していることを新聞記事で知りました。採用のチャンスがあるかもしれないと思い、教員募集に応募したところ、運良く採用が決まりました。

 45歳で静岡大学に教授として迎えられ、私の研究は大きく発展していきました。日本語文法に加え、日本語教育、異文化理解教育、言語学などの研究に専念できるようになりました。日本中の国立大学の教員との交流が活発となり、研究者としての視野が広がるとともに、そこから大きな刺激を受けるようになりました。地域の日本語教育関係者との交流も深まり、日本語教師の養成にも関わるようになりました。

 静岡大学における20年間は私にとって大きく飛躍する期間となりました。家族や同僚、友人に恵まれ、好きな研究に没頭できる時間が生まれました。留学生教育に加え、国内外の学会発表、海外派遣サポート、海外姉妹校との交流、大学の国際化、地域での日本語教師養成、そして、著書の出版など、研究・教育面で充実した日々を送ることができました。今から思うと、往復4時間の通勤を含めると、本当に超過密なスケジュールでしたが、充実した生活だったので、きっとやり通すことができたのでしょう。

 最終授業では、大学時代に鍛えたマジックの実演を交えながら、あっという間に1時間半が過ぎました。最後に、教え子や教職員から花束をいただき、これまでの生涯でこんなにたくさんの花束をもらったことがないと感激しました。

 コロナ渦ですべての送別会がキャンセルされましたが、多くの人から暖かいねぎらいの言葉をいただき、私は本当に幸せ者だと思いました。また、最終授業の出席者の中に次男がこっそり紛れ込んでいるのを見つけ、驚きながらも嬉しく感じました。 これからは、自由の立場で日本語教育活動に携わっていこうと思っています。なお、最終授業の詳細は、こちら『原沢伊都夫教授退職記念』からどうぞ。