9.思い出の写真

 これまでに私が訪れて、印象に残った場所を写真とともに紹介していきます。少しずつ増やしていきますので、楽しみにしていてください。

ボロブドール寺院の遺跡(インドネシア)

 

 静岡大学に設置された留学生センターに教授として採用されてすぐの2002年2月、本田隆成センター長に同行して、インドネシアの協定校であるガジャマダ大学(ジョグジャカルタ)を訪問した時のものです。ボロブドゥール遺跡は、世界最大級の仏教寺院の石造遺跡で、ユネスコの世界遺産に登録されています。カンボジアのアンコール・ワットと並んで、東南アジア最大の遺跡の1つであると言われています。今から22年前の私が写っていますが、若かったですねえ(^^♪ 

 

 こちらも私の顔がアップになっていますが、インドネシアで一番食べたかったパダン料理を食べているところです。パダン料理は西スマトラ州の料理の総称で、手で食べるのが普通です。客はメニューを見て注文する必要が無くテーブルにつくと、ウエーターがご飯と12種類以上のおかずを持ってきます。食べたくない料理には触れません。食べたいおかずだけで食べて、その分の代金を払うというシステムです。客が触れなかった料理は別の客に出すそうです。香辛料の効いた料理はとてもおいしかったです。

 

 

アンネ・フランクの家(オランダ)

  リュブリャナ(2013年スロベニア)の学会の後、アムステルダム経由で帰ってきました。オランダの国は海面より低く、運河がたくさんあります。町全体の印象も高層ビルが少なく、平たく広がっている町という感じです。人口は92万人ですので、静岡市とほぼ同じ規模です。運河を走る船が交通手段の一つになっており、運河に浮かぶ家も多く、まさに水の都です。また、オランダと言えば、自転車が有名で、自転車道が整備されていて、多くの市民は自転車が交通手段となっています。写真には運河や自転車に乗る市民が移っています。赤い色の部分が自転車専用レーンですが、この道を走る自転車の速さに驚きました。日本ではゆっくりと走る自転車が普通ですが、ここでは猛スピードで走ってきます。歩道と一緒にあるので、歩いていて怖かったです。

 アムステルダムには3日間滞在し、いろいろな場所に行きましたが、一番印象に残っているところはアンネ・フランクの家です。1942年から2年間アンネの家族など8人のユダヤ人がナチスの迫害から逃れるためにアムステルダムに移り、隠れて住んでいました。この隠れ家は。『アンネの日記』が世界的ベストセラーになったことで有名になり、年間100万人が訪れる観光名所となっています。アムステルダムに行くまでは、アンネの家がオランダにあるとは知りませんでした。写真は隠れ家に通じる入り口の回転式の本棚です。ここから、アンネが住んでいた3階と4階に入ることができます。こんな狭い空間に3家族の8人の人間が音も立てずに2年間住んでいたと想像するだけで、その大変さを実感します。

 

リガの旧市街(ラトビア)

 ヨーロッパ日本研究学会はヨーロッパの大学で日本に関するあらゆる研究をしている研究者の集まりで、3年に一度国際会議を開いています。ヨーロッパ日本語教師会もこの国際会議に参加するようになり、その最初の会議が2012年エストニアのタリン大学で開催されました。私は「日本語教師に対する異文化理解教育」の学会発表をしました。この会議の終了後に隣国ラトビアへの一泊二日のオプショナル・ツアーがあり、私も友人と一緒に参加しました。エストニアの首都タリンから車で4~5時間かかってラトビアの首都リガに到着しました。リガはバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の中で最大の都市で、13世紀にハンザ同盟に加盟して以来急速に発展した街です。

 リガの旧市街は「バルト海の真珠」と呼ばれるほど、美しい街並みが続きます。タリンの旧市街とはまた違った趣で、上から見ると色の異なるマッチ棒の箱が並んでいるような印象です。1997年にリガ歴史地区として世界遺産に登録されました。最初の写真は旧市街の中心にあるリガ大聖堂です。左側の建物です。1211年に建てられ、ロマネスク、ゴシック、バロックなどの建築様式の見本市のような建物と言われています。写真の左側で女の子がフルートを弾いていますが、街のあちこちで音楽を演奏する人に出くわしました。下の写真は親子で演奏しているようですね。観光客を目当てにお金を稼いでいるようです。旧市街を観光していたとき、男の人から声をかけられ、どこから来たグループなのか尋ねられました。しばらくすると、その男の人が演奏していて、片言の日本語を話したりしたので、そういうことなのかと思いました。

ザグレブ(クロアチア)

 2013年にリュブリャナ(スロベニア)で開催されたヨーロッパ日本研究国際大会に参加しました。リュブリャナからクロアチア共和国の首都ザグレブまで鉄道で2時間ちょっとで行けると知り、時間を見つけて訪問することにしました。スロベニアとクロアチアの国境近くの駅に停車したとき、出入国審査官が乗り込んできて、パスポートのチェックを受けました。銃を持っていて、最初は軍隊の人かと思ったほどで、少し、恐怖感を覚えました。ザグレブは首都とはいえ、人口は80万人ぐらい、日本でいえば地方の中核都市の規模です。静岡市とほぼ同じ人口ですが、駅も小さくこぢんまりとしていて周りには何もなく、中心街であるイェラチッチ広場(写真)まで15分ぐらい歩きました。広場にはクロアチアの英雄イェラチッチ総督の像や、17世紀に作られた噴水があり、路面電車が市民の足となっています。

 不思議に思ったのが路面電車の色がすべてブルーだったことです。なぜなのかわかりませんが、青色がシンボルカラーのようです。町の中心であるイェラチッチ広場をぶらぶら歩きながら抜けていくと、ケーブルカーの乗り場があり、それに乗ると、古い歴史的な建物が並ぶアッパータウンに着きます。ちょうどイェラチッチ広場の上になり、そこからの景色を撮った写真がこれです。写真に写っている教会はザグレブ大聖堂(正式名は聖母被昇天大聖堂)で、13世紀に作り始め、17世紀に完成したというバロック様式の教会です。完成後は、町のシンボルとして人々から愛されているそうです。周辺には飲食店が立ち並び、ザグレブでプレーしたサッカーの三浦知良選手もきっと訪れたに違いありません。首都と言っても小ぢんまりとした街なので、徒歩で散策しても3時間ぐらいで回り切ることができました。

ヴェネツィア(イタリア)

 2017年8月にヴェネツィアの中心部に位置するカフォスカリ大学でヨーロッパ日本語教育国際研究大会が開催されました。以前より行ってみたいと思っていた場所でしたので、学会発表を兼ねて訪れることにしました。ローマ経由でヴェネツィアに到着したのは夜中、すぐにホテルにチェックインし、翌日朝食後に散歩しながら撮ったのがこの写真です。ヴェネツィアはイタリアの北東、アドリア海のラグーナに築かれた古代の都市です。118の小島からなり、それぞれが橋で結ばれています。多くの運河があることから、‟水の都”と呼ばれ、世界的に有名な観光都市です。歴史的に独自の国家として栄え、独自の文化を形成してきたヴェネツィアは、1987年に世界遺産に登録されました。

 

 ヴェネツィアの交通手段は船か徒歩のみで、車の乗り入れは禁止されています。張り巡らされた運河とそれにかかる橋を歩いていきますが、まるで迷路のようです。どの観光客もスマホや地図を片手に右往左往しています。ホテルからカフォスカリ大学までの道のりも大通りがあるわけではないため、いろいろな行き方があり、あっちに行ったり、こっちに行ったりと、とても楽しかったです。街中のいたるところで仮面を売っている店があります。この写真もそのような店の1つです。毎年1月から2月にかけての2週間、仮面のカーニバルがあり、その時期には300万人が世界中から訪れるそうです。私もその時期にもう一度行って、仮面を付けて歩いてみたいものです。

 

ヘルシンキの2大教会(フィンランド)

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、フィンランドがNATO(北大西洋条約機構)加入を表明しました(2022年5月11日)。フィンランドには、ヨーロッパ日本語教育シンポジウム(2012年)が開かれるエストニアに行く途中に訪れました。ヘルシンキに2泊したのですが、中心部のホテルからよく見えたのがこのウスペンスキー大寺院です。この寺院はロシアの建築家によって設計され、1868年に発足したロシア正教会の建物です。フィンランドは当時ロシア帝国の自治大公国で、ウスペンスキーはロシア語で「安眠」を意味するそうです。ロシア軍の蛮行でフィンランド人が目を覚ましたとしたら、皮肉としか言いようがありません。人口500万足らずの小国フィンランドにとってロシアの脅威は私たちの想像をはるかに超えるものでしょう。

 こちらは、ヘルシンキの中心部にあるヘルシンキ大聖堂です。市内をぶらぶら歩いていたら突然現れて驚いたものです。青色のドームと真っ白な外壁が美しく、日本の姫路城(白鷺城)を思い出しました。ヘルシンキのランドマークとして、高台から町を見下ろすように立っています。ドイツ人によって設計され、1852年に完成しましたが、当時はロシア皇帝の名前をとってニコライ教会と呼ばれていました。現在の名前になったのは1959年からです。フィンランドはロシアと1800キロも国境を接することから、ロシアからの独立後も、長い間軍事的中立を保ってきました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻により、ロシアの脅威が現実味を帯び、今回のNATO加盟の表明につながったのでしょう。

リオのカーニバル(ブラジル)

 テレビでリオのカーニバルが2年ぶりに開催されたことを知り、なつかしくなり、この写真を載せました。この思い出の写真を撮ったのは私がリオデジャネイロにいた時ですから、今から44年前のことになります。カーニバルと聞くと町のあちこちで皆が踊っていると思うかもしれませんが、それは大昔のことで、私のいた時も現在も選ばれたサンバチームの人たちが大通りを練り歩くパレードです。普通の人で踊りたい人は会員制クラブに行って踊りあかします。このカーニバルを見るのには入場料が必要で、2万円前後からと高額で、ほとんどが外国人観光客でした。始まりが夜の10時過ぎからで翌日の朝方まで続きます。サンバのパレードを見ながら、観客も一緒になって飲んで歌って踊るという大騒ぎでした。

 

 こちらもかなり古い写真で申し訳ありませんが、リオデジャネイロを代表する美しい海岸、イパネマの海岸で友達を撮ったものです。真っ白い砂浜にコバルトブルーの海、そして海岸沿いにそそり立つ白いビル群、本当に美しいと思いました。この海岸は、ボサノバの「イパネマの娘」で世界的に有名になりました。作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンが行きつけのカフェで見つけたきれいな女性を歌にしたものです。その後、ジョビンはその女性に愛を告白しましたが、残念ながら振られてしまいました。私がいた頃は小さな店でしたが、現在では観光名所として多くの観光客でにぎわっています。私にとって初めての外国生活での青春の思い出に残る1枚です。

 

 

キーウの独立広場(ウクライナ)

 2月24日ロシア軍がウクライナに侵攻を開始しました。世界中にウクライナ市民に対する同情とプーチン大統領に対する怒りが広がっています。私は2012年にキーウ工科大学で開催された日本留学フェアに参加し、初めてウクライナを訪れました。この時は、親露派のヤヌコーヴィッチ大統領の時代で、国民の間には親欧米派が多く、政治に対する不信が高まっていたころです。案の定、2年後に動乱が起き、ヤヌコーヴィッチ政権が崩壊すると、ロシアは軍事介入をし、クリミア半島を併合しました。写真は2012年の平和な時代の独立広場ですが、2年後の動乱で周辺は焼き焦がれ、見るも無残な景色となりまた。今またソ連軍の侵略でキーウは占領の危機に直面しています。

 私のウクライナの印象は、誠実で勤勉な国民性です。通勤時間帯に地下鉄を利用したとき、多くの人がエスカレーターに乗りながら、本を読んでいるのを覚えています。写真は地下鉄の構内にある花屋さんの風景です。駅の周りには花を売る人が多く、ウクライナ人の花好きな優しさを物語っています。日本留学フェアでは多くの女子学生が私たちのブースを訪れ、真剣に日本留学を夢見ていました。その時感じたのは、こんなに多くの学生が日本に行きたがっているのに、奨学金がなければ日本留学は夢のまた夢という現実でした。貧しい国のウクライナでは自己資金で海外留学をできる人はほとんどいません。私の通訳をしてくれた大学の英語の講師ですら、これまでに留学したことがないと言っていました。

ニューヨーク(アメリカ)

 2004年8月にカナダのトロントで開催された日本語教育シンポジウムの帰りにニューヨークに寄りました。ニューヨークといえば、世界中の人が一度は訪れてみたいとあこがれる国際都市です。これまでに何度か訪れていますが、初めてニューヨークの摩天楼を歩いた時には、世界の中心であるマンハッタンに自分はいるんだという感動に身震いしました。私にとってのニューヨークはオー・ヘンリーの作品の世界です。タイムズスクエアー、マディソンスクエアー、グリニッジビレッジ、5番街など、青春時代に読んだ20世紀初頭のニューヨークの街角が蘇ります。タイムズスクエアを歩いていると、カウボーイハットをかぶったパンツ一丁の白人がギターで歌を歌っていたので、思わず写真に撮りました。後で知ったのですが、NY名物の「裸のカウボーイ」だったそうで、18年経った現在でもニューヨークに出没しているそうです。

 ニューヨークを訪れた理由はコロンビア大学訪問と日本で研修を担当した教え子に会うためでした。しかし、それよりもまして楽しみだったのは、ブロードウェイでのミュージカル観賞です。以前訪れた時は「アニー」を見て、感動しました。今回はディズニーアニメの「美女と野獣」を絶対に見たいと思っていました。その理由は、短期大学で英語を教えていた時に「美女と野獣」を題材にした英語の教材を使っていたからです。私の頭の中には、ストーリーから登場人物のセリフ、歌の内容までがしっかりと刻みこまれていました。本場のミュージカルでどのように演じられるか、とても興味がありました。写真はその日の劇場の風景です。実際にミュージカルが始まると、アニメとまったく同じセリフ、音楽が続き、感動の時間が流れていきました。クライマックスの野獣が王子に戻る瞬間は涙あふれる夢のような瞬間でした。開演中は写真禁止だったのがとても残念です。

 

モスクワ大学(ロシア)

 セルビアのシンポジウムの帰りに寄ったのがモスクワです。ベオグラードのニコラ・テスラ空港でモスクワ便の搭乗口に並んでいたところ、見たことのあるロシア人女性が近づいてきました。前日の学会発表でお会いしたロシア人研究者でした。モスクワ大学で日本語を研究する先生で、流ちょうな日本語でどちらまでと聞かれました。モスクワに数日間滞在するので、モスクワ大学の日本語教育を見学したいと言うと、明日から新学期が始まり、大学はてんてこまいの忙しさで、残念ながらご案内できないと言われました。また、モスクワ大学に入るためには特別な許可が必要だとも言われました。勝手に行って勝手に見学しようと思っていましたが、しかたなく、モスクワ大学の訪問はあきらめることにしました。この写真は大学の近くにまで行ったので、その時に撮ったものです。1953年に完成した本館は高さが240メートルもあり、スターリン様式の代表作の1つと言われています。中に入ることはかないませんでしたが、遠くから眺めるだけで、旧ソビエト連邦時代の堂々たる威風を感じることができました。

 

 こちらの写真はクレムリンの赤の広場にある聖ワリシイ大聖堂です。クレムリンはロシア語で城塞という意味で、旧ソ連の中枢が設置されたことから、ロシア政府の代名詞として使われています。クレムリンの中には宮殿や大聖堂や武器庫があり、見学することができるのですが、チケット買い方が非常に複雑で、困りました。英語での表示もあるのですが、窓口ではロシア語しか通じません。近くにいた日本人に聞いて、とりあえず入ることができました。クレムリンの見どころは武器庫とその中にあるダイヤモンド庫で、ロシア帝国時代の戦利品や目のくらむようなダイヤモンドの数々は息を飲むほどでした。クレムリンの近くに宿をとったのですが、私が一番驚いたのはモスクワの街並みの清潔さです。道にはごみ1つ落ちていません。汚れているイメージがあったのですが、完全に覆されました。首都だからということもあるのかもしれませんが、絶えず清掃員が掃除をしていたのが印象的です。

 

ジョコビッチのカフェ・レストラン(セルビア)

 セルビアのベオグラード大学で第23回ヨーロッパ日本語教育シンポジウムが開催されたのは2019年の夏のことです。還暦を過ぎてからテニスを再開した私は、‟セルビア”と聞いて、まっさきに思い思い浮かべたのは、テニスのノバク・ジョコビッチのことです。テニスを愛する人間にとって、世界NO.1プレーヤーであるジョコビッチは神のような存在であり、しかしながら、錦織選手がまったく勝てない難攻不落の仇敵です。彼のオールラウンド型のテニススタイルは母国のセルビアだけでなく、世界中のファンを魅了しています。このセルビアの英雄、ジョコビッチは、ベオグラード出身であり、そこに彼の親族がカフェ・レストランを開いていることをガイドブックで知りました。そして、このビルの1階にジョコビッチの店があるのです。

 地図を頼りに、バスを乗り継いで歩いても歩いてもなかなかレストランらしい建物が見つからない、と思っていたら、なんと、ビルの壁に巨大なジョコビッチの姿を見つけました。さすが、ジョコビッチ、どんなすごいレストランなのかなと思っていくと、入口は何の変哲のない小さなドア。ところが中に入ってみると、そこはまさにジョコビッチの世界が広がっていたのです。この写真は店の受付で出迎えるジョコビッチの銅像です。店内にはジョコビッチの優勝トロフィーが飾られ、何台もあるスクリーンにはテニスの試合の映像が流れています。私はコーヒーを飲みながらジョコビッチの世界をゆっくりと堪能し、カフェ・レストランを後にしました。

 

赤い屋根の街、リスボン(ポルトガル)

 

 赤い屋根瓦が埋め尽くす町、リスボンには何とも言えない郷愁を私は感じます。それは、私にとっての初めての外国がブラジルであり、その宗主国がポルトガルだったからです。ユーラシア大陸の最西端に位置するポルトガルは、15世紀から始まる大航海時代のパイオニアとして、喜望峰の航路を発見、アジア貿易を独占し、巨万の富を得ることに成功しました。1500年にはブラジルに到達、1543年には日本の種子島にポルトガル人を乗せた船が漂着しました。初めて鉄砲が日本にもたらされたのです。あのフランシスコ・ザビエルもポルトガルから派遣された宣教師でした。日本にとって初めての欧米の国、ポルトガル。日本語にもゆかりのある言葉がたくさん残っています。コロッケ、パン、ビスケット、カステラ、金平糖、ボタン、合羽、チャルメラ、たばこ、カルタなど、ポルトガルとの不思議な縁を感じます。

 

2017年8月、リスボンで第21回ヨーロッパ日本語教育シンポジウムがヨーロッパ日本研究学会との共催で開催されました。巷から聞こえてくるポルトガル語の心地よい響きにブラジルでの生活がよみがえるようでした。そんなポルトガルの首都、リスボンと言えば、市内を縦横無尽に走り回るチンチン電車(路面電車)が有名です。私も滞在中にとてもお世話になりましたが、こんな狭いところを走るのかと驚くほど古い町並みを通り抜けていきます。そして、その電車がレトロでとてもいいのです。この写真はローマ人によって建設されたサン・ジョルジェ城へ行く時に乗った路面電車、偶然にもクリスチャン・ロナウドのユニフォームがぶら下がっていました。リスボンの下町の様子を見たい人はこちらからどうぞ。 → YouTube

 

モナリザ(フランス)

 

 2010年の夏はルーマニアのブカレストで日本語教育シンポジウムが開催されました。パリ経由で帰国したため、数日間パリを観光する時間を作ることができました。パリは観光名所が多く、見どころが多いのですが、ルーブル美術館で絶対に見たかったのが、この絵、「モナリザ」です。「モナリザ」は一度日本に来ていて、1974年に東京国立博物館で「モナリザ展」が開催されました。50日間で15万人の来場者があったそうです。私はその当時東京にいたので、行こうと思えば行けたと思いますが、まったく関心がありませんでした。ということで、今回はこの世界でもっとも有名な女性の肖像画をじっくりと見てみたいと思い、ルーブル美術館を訪問しました。

 

 「モナリザ」と言えば、私の世代ではグループサウンズのタイガースのヒット曲「モナリザの微笑み」が有名です。「モナリザ」とどういう関係があるのか不思議に思ったので、改めて歌詞を確認してみると、壁にモナリザの絵が掛かっていて、モナリザの微笑のように彼女の微笑を待っているというような、どうでもいいような歌詞でした(苦笑)。ルーブル美術館の「モナリザ」は、さすがに世界で一番知られた女性の絵画です。「モナリザ」の前はこの人だかり。実際に見てみると、この名画、意外と小さいのです。もっと大きな絵を想像していたので、その小ささにちょっとがっかり。仕切りがあって近くまで寄れないので、よけいに迫力を感じることができませんでした。

 

サグラダファミリア(スペイン)

 

 スペインのマドリッドで日本語教育シンポジウムが開かれたのは2013年の8月のことです。出席後バルセロナ経由で帰国したため、バルセロナにも数日滞在し、この有名な教会を訪れました。スペインに行く前に友人から一見の価値があるから絶対に行ったほうがいいと言われましたが、私には、桜田ファミリアに聞こえ、最初はどのようなところなのかもわかりませんでした(汗)。着工から100年以上が経過しても今なお建設中という、なんとも奇妙な世界遺産です。正式名は「聖家族贖罪教会」だそうで、建築家ガウディの最高傑作(未完成ですが)と言われています。この年の9月にはガウディ没後100年にあたる2026年に完成予定だと発表されました。

 

 スペインで最も人気のある観光スポットであるため、入場するまでに長蛇の列に並ばなければなりません。それを避けるために、私は入場開始の30分前に行きました。おかげで、それほど待たなくても入場することができました。教会の内部は幻想的で、通常のカトリック教会とはまったく異なる雰囲気を醸し出しています。驚いたのは、この写真でお分かりのように、キリストが祭壇の前にぶらさがっていること。多くの湾曲した柱とともに、何とも言えない耽美的な空間を演出しています。バルセロナはガウディの作品の宝庫で、街中で人が集まって見ているものがあると、それはガウディの設計した建物でした。5年後にサグラダファミリアが完成したら、ぜひもう一度訪問したいものです。→ Sagrada Familia – YouTube

 

ストーンヘンジ(イギリス)

 

 イギリス南部の町、ソールスベリー郊外の平野にこつぜんと現れる巨大石柱群、ストーンヘンジ。紀元前2500年ごろから造られたと言われる先史時代の遺跡です。誰が?何のために?どうやってこんな巨石を?謎に包まれた、歴史ロマンあふれる世界遺産です。1986年にヨーロッパ一の巨石の記念物としてユネスコ世界遺産に登録されました。2009年夏にイングランド中部にあるシェフィールド大学での学会発表を終え、以前から興味のあったストーンサークルを見学に行きました。実際に実物を見てみると、高さが5メートル以上もあり、日本でいえば縄文時代に何十トンもするこんな巨大な石をどうやって運んだのだろうかと、ただただ驚愕するばかりでした。ミステリアスな気分を味わいたい方はこちらからどうぞ。↓     Stonehenge, Salibury – YouTube

 

 

 

 学会のあったシェフィールド大学はこれまでにノーベル賞受賞者を4人も輩出したイギリスの名門大学です。1963年には日本研究センターが設置され、イギリスにおける日本研究のパイオニア的存在となっています。大学は緑あふれる公園のような雰囲気が漂い、広大なキャンパスを誇る北米の大学とはまったく異なる歴史的な趣を感じました。写真はBATJ(英国日本語教育学会)の大会が行われた建物ですが、まさにイギリス式庭園の中に溶け込んだかのような建造物であるとは思いませんか。日本のように自然のままの花や木を楽しむ英国式庭園文化は日本人の心を和ませてくれます。

 

クリシュナのバターボール(インド)

 

 落ちそうで落ちない不思議な巨石。岩の丘の中腹に微妙なバランスで止まっている直径10メートルの巨大な丸い石です。この石があるのは南インドのチェンナイから60キロ離れたマハーバリプラムという古代遺跡で有名な世界遺産の町の中です。チェンナイには静岡大学と協定を結んでいるアナン大学とSRM大学があり、両大学との交流促進のため、2014年3月に訪れました。ヒンドゥー教の神様、クリシュナ神がバターボールを大好きだったことから、食べていたバターが飛んできて、この岩になったという伝説があります。岩の右下はつるつるの天然石のすべり台になっていて、この日も地元の子供たちが楽しそうに遊んでいました。この付近には日陰がなく、インド人だけでなくヤギなどの動物も石の下で涼んでいます。日本なら、“絶対に落ちない”受験生の聖地になること、間違いないでしょう。動画で見たい人はこちらから。↓ Krishna, Butter Ball, Mahabalipuram, Chennai, Tamil Nadu, India, Video (indiavideo.org) 

 


 

 インドの暑さと言えば、この写真を見てください。これは犬の死骸ではないんですよ。暑すぎて、犬が地べたに横になって休んでいる様子です。インドの街並みで一番驚いたのがこの風景です。日本では犬が横向けに寝ている姿など見ることはありませんが、インドではそこら中で犬が横に寝そべっているのを見かけます。暑すぎて動かないで昼から寝ているんですね。中にはすごい格好で寝ているつわものもいますが、そんな犬の姿にはまったく無関心なインド人。野良犬だけでなく牛やヤギなども路上で暮らしています。インドでは、昔も今も動物と人間が自然のままに共存しています。

 

赤毛のアンの家(カナダ)

 


 カナダ東部の州都フレデリクソンにあるニューブランズウィック大学でカナダ日本語教師会(CAJLE)が開催されたのは2007年8月のことです。この学会に参加した楽しみの一つに大会終了後に予定されていたプリンス・エドワード島へのツアーがありました。プリンス・エドワード島と言えば、皆さんもご存じ、『赤毛のアン』のふるさと。アンゆかりの地、キャベンディッシュにあるグリーンゲーブルズハウスには『赤毛のアン』の世界が広がっています。写真は家の2階にあるアンの部屋です。『赤毛のアン』を読んだ人、アニメを見た人、映画を見た人であれば、この光景に思わず感動してしまうでしょう


 この物語を初めて翻訳して日本に紹介したのは村岡花子さん。2014年にNHK連続テレビ小説「花子とアン」で放映されました。村岡さんと同じ山梨出身の私は花子や家族が話す甲州弁になつかしさを感じたものです。テーマソングとともに流れるプリンス・エドワード島の美しい景色の中にこの写真のグリーンゲーブルズハウスも登場します。家の周りには、あの「恋人の小径」も「おばけの森」も実在し、思わず現実の世界から小説の世界にワープしてしまいます。シャーロットタウンの湾に面したレストランで食べた巨大ロブスターの味は今でも忘れません。色とりどりの美しい町のたたずまい、機会があれば、皆さんもぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。→プリンスエドワード島 – YouTube

 

カッパドキア(トルコ)

 

 世界に類を見ない奇岩群で有名なカッパドキア。2008年にトルコのチャナッカレで開かれた日本語教育シンポジウム参加後に、オプショナルツアーで訪れました。カッパドキアはトルコの中央部に位置し、世界自然遺産と文化遺産の両方の基準を満たす複合遺産です。驚いたのは、このような奇岩をくりぬいて中で人々が生活してきたこと。写真は4~11世紀にかけて作られたキリスト教の岩窟教会が集まるギョレメ谷の奇岩です。私も中に入りましたが、現在でも30以上の教会がギョレメ博物館として保存・公開されています。


 

 この写真は、カッパドキアを一望できる気球ツアーからの1枚。360度のパノラマ風景の中、奇岩群を眼下に眺め、まるでどこかの惑星に舞い降りるかのような気分になりました。岩と町が一体化した風景は絶景です。写真でも、岩をくり抜いた穴がはっきりと見えると思います。人々が住居としても活用してきた岩は、SF映画に登場するかのような奇観を作り出しています。そんな不思議な景色に圧倒される空中散歩でした。ちょっと行ってみたいと思った人はこちらからどうぞ。↓ https://www.youtube.com/watch?v=1teCYFn_X3Q

 

タリンの旧市街(エストニア)

 

 エストニアは北欧のバルト海に面し、歴史的にも民族的にもフィンランドとつながりの深い国です。言語はウラル語族に属し、日本語にも近い膠着語の特徴を持っています。2012年の夏にエストニアの首都タリンで開かれたヨーロッパ日本研究学会には700名を超える研究者が集まり、熱い議論を戦わせました。タリン大学からほど近い旧市街はユネスコの世界文化遺産に登録されていて、一歩足を踏み入れるとそこはもう中世の世界、魔法使いが現れるような錯覚に陥ります。この写真は街を取り囲む13世紀の城壁の上から撮ったものです。3時間もあれば一回りしてしまう小さなエリアですが、歩いているだけでワクワクしてしまう、そんな雰囲気の漂う町でした。

 


 

 旧市街への入口、ヴィル門です。13世紀から14世紀にかけて建設された城壁の一部が門となっています。観光客の多くがここから旧市街に入ります。スーベニアショップやレストランで賑わうメインストリート・ヴィル通りにつながっていて、旧市街の中心地、ラコエヤ広場へと続きます。上の写真を見て、行きたくなったという声があったので、皆さんも一緒に旧市街を散策してみましょう。きっと中世の雰囲気を感じることができると思いますよ。↓ https://www.youtube.com/watch?v=pjZS-D0CRyo

 

ブレッド湖(スロベニア)

 

 2014年の8月にヨーロッパ日本語教育シンポジウムがスロベニアの首都にあるリュブリャナ大学で開催されました。最初にスロベニアと聞いたときに、ヨーロッパのどこにあるのか、皆目見当がつきませんでした。イタリアの右上にあり、旧ユーゴスラビアから独立した国だと知りました。ブレッド湖はタリン郊外に位置し、エメラルドグリーンの湖に浮かぶ小島の景色はあまりに美しく、この写真は近くのブレッド城から撮った一枚です。小島には伝統的な手こぎボートで行くことができ、島内の聖母教会などを散策しました。この写真は帰国後、しばらくは私のパソコンのデスクトップの壁紙となりました。

 

 リュブリャナと言えば、町の中を歩いていて見つけたのがこれ。写真では見にくいかもしれませんが、靴がぶら下がっているんです。写真の旅行者も思わず見上げて驚いてますね。ネットで調べても、その意味は不明でした。が、近くに「靴屋の橋」という橋があり、昔、橋の上で靴屋が営業していたのが由来だそうです。HNK「世界ふれあい歩き」で放送していました。その時の靴屋かどうかわかりませんが、橋の近くに親子3代にわたる靴職人の店があり、もしかしたら、この靴屋さんがつるしているのかもしれませんね。